ある外国人女性と間伐の必要性について

  料峭(りょうしょう)の遠き港の煙りかな   (拙句)

 ここのところずっと寒い日が続いています。冬帝が日本列島を隈なく領し各地に無数の寒兵を遣わして、ために連日のこの厳しい寒さか、といった按配です。
 今は暦の上でも「寒中」です。暦上と実際の季節感ではかなりのズレを生じがちですが、この「寒の季節」だけは毎年一致しています。

 30日当地では快晴の一日となりました。冬の日は中空(なかぞら)で燦々と輝いているのに、なにせ風は北風でピューピュー吹きつのり、そのため外を歩いていると寒さが余計厳しく体感されてきます。
 さて、この日の午後から横浜に行ってきました。今年二度目となります。これまで、横浜に着いてから見聞したことを小紀行文的に度々綴ってきました。しかし今回は横浜に着く手前の電車内での「二題」について述べてみようと思います。
                       *
 まず最初は、海老名駅から横浜駅間の相鉄の電車での事です。
 2時半過ぎ、海老名駅始発の横浜行き電車に乗りました。神奈川県庁担当部署への申請のためですが、一部に書類不備があります。そこで車中でその仕上げと総チェックを行って完璧な申請書類とするつもりです。
 それには乗客がズラッと並んで座る長座席では不都合です。それもあって私は、「行き」はたいがい電車中ほどの4人がけの対面座席に座ることにしています。

 この日その座席はどれも2、3人の人たちが既に座っていました。その中で日差しを浴びた側に外国人女性が一人だけで座っているのを認めました。彼女は進行方向に向かって窓際に座っていますから、私はその対面の彼女とは対角線になる席に座らせてもらいました。空いた窓側の席にバックを置きました。

 外国人女性は真っ赤なコートを着た、長い見事な金髪の若い白人女性です。私はすぐにバックから書類を取り出して“作業”にかかりましたし、失礼ですからあまり見ないようにしましたが、それでも視野には入ってきます。
 顔は本当に白く綺麗な女性です。スタイルが良くかなり長身のようです。顔立ちからしてこの国によくいがちなアメリカ人ではなさそうです。どちらかというとドイツ系、フランス系、北欧系といった感じです。

 松本清張の社会派推理小説『ゼロの焦点』の鍵を握るのが「赤いコートの女」。日本人女性は滅多に着ることのない赤いコートのこの外国人女性は、どうしてこの時間この電車に乗ることになったのか、そもそも彼女はどうして遠いこの国にやってくることになったのか。
 幾重にもミステリアスな雰囲気をまとった異国の女性と、こうして時間と空間をつかの間共有したのでした。
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 次は相鉄に乗る手前、地元の本厚木駅から次の海老名駅に向かう小田急の電車内での事です。
 数分もすれば降りるのですから、この時は立ちながら窓上部の電車広告を眺めていました。するとある広告の一文に目が止まりました。それは次のような内容です。

 - 山崩れから守るためには森林の働きを活性化することが必要です。その方法として「間伐」によって木を間引くことが大切です。間伐がなぜ山崩れを防ぐことになるのか説明しなさい -

 どうやらそれは「問題」のようです。よく見ると広告主は中学受験塾として有名な「日○研」。さらに見ていくと、これは「2011中学入試 自●館中等教育学校」で実際に出題された問題のようです。
 全国的にかなり以前から「森林の荒廃」が深刻な社会問題の一つになっています。社会科の問題なのでしょうが、その事を踏まえれば、受験児童たちの関心を森林保護に向けるためにもなかなか良い出題といえます。

 それにしても『中学入試にしては少し難しすぎないか?』と思ってしまいます。中学入試というからには、これを解くのは小学校6年生であるわけです。ということは今の彼らは、こんな“高度な社会問題”について、既に社会科の授業で学習済みということになるのでしょうか。
 何十年も前私たちが小学生だった頃とは、えらい違いです。

 そう言えば、私は今から10余年前、“頭の体操”のつもりで文庫サイズのパズル本を買ったことがあります。それは主要各教科の、当時の有名私立中学校の入試問題を選りすぐったものでした。いざ一つひとつの問題に挑戦してみると、ドッコイ大人顔負けの難問ぞろいなのです。『小6でよくもこんな難しい問題が解けるなぁ』と舌を巻いてしまいました。
 こういう難問をスラスラ解いて有名私立中学に入れる子どもは、本当に「優秀な子」なのでしょう。そのような際立った学力をペースに、入学後はさらに高いレベルの学習へと進むわけです。

 下手すれば私らが高校で習ったようなことを、今は小学校高学年で習っているのかもしれません。それが時代の要請なのでしょう。
 それは反面、授業についていけず、学校嫌いや落ちこぼれや不登校の問題にも直結しているはずです。
 少数の「出来る子」と大勢の「ダメな子」。「階級社会化」しつつある今の世の中の縮図を見る思いがします。教育格差は卒業後の社会格差につながるのはほぼ確実ですから。

 ところで、「間伐が山崩れを防ぐことになるのはどうしてか?」。一つじっくり考えてみてください。

 (大場光太郎・記)
                       
                       

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首都圏直下型地震カウントダウン !?

 -「4年以内に首都圏地震70%の確率」ということはきょう、あすかも知れない-

 28日(土)早朝首都圏で地震がありました。同日午前7時43分頃、関東地方を中心に地震があり、山梨県河口湖町や忍野村で震度5弱、神奈川県厚木市や静岡県三島市で震度4を観測したのです。
 震源地は山梨県東部富士五湖で、震源の深さは約20km、マグニチュード(M)は5.5と推定されています。

 私は、今回名前の出た厚木市に居住していますので、この地震バッチリ体感しました。同時刻前後数分置いて二度ほど大きな揺れがきました。
 昨年3月11日の大地震では当地でも、かつて経験したことのないような長い横揺れでした。あれが問題の長周期振動であることを後で知りました。
 3・11に比して今回のは大きい揺れが来たかと思ったら、すぐに収まる体のものでした。それも横にゆらゆらというのではなく、下からドスンと突き上げられるような感じです。それによって震源地は遥か遠方ではなく、近いことが分かりました。

 これと同じような揺れを元旦にも経験しました。同日午後2時半頃、関東から東北にかけた広い地域を震度4の揺れが襲ったのです。先ずもって地震からスタートする元旦というのは、あまり気分のよいものではありません。
 それにこの国は、昨年の東日本大震災直後の2、3ヶ月は、そこそこ体で感じられる地震を繰り返し経験し、その間はまるで列島全体が船酔いの中にいるような状態でした。

 その頃も「近いうち次は首都圏が直下型地震に見舞われる」と囁かれたものでした。今またそのとおりです。元旦早々の地震が利いているためなのか、夕刊紙『日刊ゲンダイ』などは連日のように「地震警戒情報」を掲載しています。
 同紙1面最上段には、以下のような大見出しが踊っています。

 「平田教授 首都直下巨大地震の根拠」 (1月25日)
 「M7臨海液状化 芝浦・銀座危ない」 (1月26日)
 「異様データ 首都大地震 切迫」 (1月27日)
 「北関東M8迫る 地震に強い街ランキング」 (1月28日)
 「けさも富士五湖5弱 関東地震恐怖マップ」 (1月30日)

 これは一応は、夕刊紙という商業紙ならではの、ドギツイ大見出しをドンと掲げて消費者の目を引きつける「売らんかな商法」ともいえます。
 しかし日刊ゲンダイあたりがここにきて「首都圏地震」を連日取り上げるのは、過日東大地震研究所が「4年以内にM7級の首都圏直下型地震70%」という衝撃的な発表をしたことが背景にありそうです。

 東大地震研のこの発表には、長年積み重ねてきた各種地震データの緻密な裏づけがあり、かなり説得力がありそうです。
 「4年以内にM7以上の首都圏地震が起きる確率70%」。これはもうそれまでに首都圏を直下型地震が襲うのは、ほぼ間違いないとみていいのでしょう。東大地震研がこの時期にそれを公表したということは、「今からその心積りで備えておいてくださいよ」という、警告・警報の意味合いがあるとみるべきです。

 昔から「地震、カミナリ、火事、親父」は、“おっかないもの”の代名詞でした。分けても地震はその筆頭に挙げられています。「天災は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の有名な言葉がありますが、地震はその最たるものです。天気予報のように前もって日にちを予測できれば、被害は最小限に食い止められるでしょうに。
 3・11大震災がまさに降って湧いたような天災でした。それに同震災は直後に“想定外”の大津波が襲いかかり、多くの方がお亡くなりになり、また宮城、岩手など太平洋沿岸の広範囲の地域を壊滅的に破壊しました。

 仮に首都圏がM7級の大地震に襲われたら、東日本大震災とは比較にならないほどの激甚災害となるのは明らかです。
 当厚木市も首都圏周縁部に位置しています。当市21万余市民の大半は、相模川流域の市街地に居住しています。同川によって形成された沖積層の上に当たり、いわゆる軟弱地盤です。本厚木駅周辺では昭和40年代頃、70cmも掘れば水が沁み出してきたほどです。そのため当時は「厚木の街中に10階のビルを建てるのは無理だ」と言われていました。しかしその後地盤改良や(数10メートル下の岩盤まで基礎杭を打ち込む)深基礎工法などの進歩により、駅周辺には10何階ものビルが林立しています。
 しかしいざとなったら、かなりヤバイと思います。

 仮に東日本大震災時の大津波が相模湾を襲ったら、厚木市庁舎くらいまで波が押し寄せるという試算もあるようです。そうなったら海岸べりのお隣の平塚市はひとたまりもないわけです。それ以外にも大磯、茅ヶ崎、藤沢、鎌倉、逗子、横須賀、横浜など沿海地域…。
 しかし何と言っても最大の被害地は首都東京の23区です。人口が密集している上、耐震がロクにされていない古いビル、建物、設備がどれほどあることやら。そこに日本の主要な機能が一極集中しているのです。首都が壊滅したら国全体の機能が麻痺し国中大パニックに陥りかねません。

 当該自治体は今回の東大地震研の公表を受けて、市民の「生活と安全」を守るための、今まで以上に真剣な防災対策が求められます。それに国と東京都は、橋下徹大阪市長の「大阪都構想」を至急検討するなど、首都機能分散を真剣に考え実行に移してもらいたいものです。
 忘れていました。一番大切なのは、私たち3、4千万首都圏民の、地震に対する常日頃からの備えですね。

 (大場光太郎・記)

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続・人間はあの世にも同時に存在している

 -この世の事象だけの知覚では制限多い3次元世界に呪縛されたままである-

 私たち人間はこの世だけではなくあの世にも同時に存在している。これはにわかに信じられることではありません。
 これについてかつて、(水と波動の研究家として世界的に有名な)江本勝という人が分かりやすい例を引いて説明していました。

 江本勝氏は、電球や蛍光灯といった電気照明を例に取っています。例えば蛍光灯のスイッチが入って灯りが点くと、私たちはこれを連続した光として認識します。しかし電気照明というのは、瞬間的に点いたり消えたりを繰り返しているのだそうです。
 ただそのオン/オフの切り替えは、1秒の何千分の1、何万分の1という“目にもとまらぬ”素早さであるため、私たちの目には連続した照明光として見えているというのです。

 江本氏はまた、数学のサイン曲線でも示していました。ご存知サインカーブは、グラフ中央の真横に引かれたゼロ基線を基準として、一定の長さ(波長)と幅(振幅)をもつ上方のピーク(山)をつくり、次に下方にもそれとまったく同じ長さと幅のピーク(谷)をつくります。これと同一のパターン(波形)を連続して繰り返していくわけです。
 
 これは基線の上側を「プラス」または「陽」、下側を「マイナス」または「陰」などとさまざまに置き換えることが可能です。今回は上を「この世」下を「あの世」と見ることにします。するとサインカーブは、他でもないこの私たち人間が各人固有の振動を発しながら、電気照明のオン/オフのように目にもとまらない速さで、この世とあの世を往還している姿と考えることもできるのです。
 ただこの世に固定されている私たちの顕在意識は、蛍光灯などを見る場合と同じで、こちら側の世界に住しているという認識しかないわけです。

 『ニュートン世界と量子世界』シリーズでもみましたとおり、分子以下の超ミクロ体は、「粒子」であるとともに「波」としての性質を有しているのでした。そして粒子とは物質性であり、波とは非物質性なのでした。
 天文学的数のこれら超ミクロ体が私たちの身体の基本的構成要素であるからには、私たち自身も見たとおりの物質体であると同時に非物質的なエネルギーそのものであるのに違いありません。
 このことからもまた、私たちの本質は「霊的存在」であることが裏付けられるのです。

 「あなたがたの肉体のなかには実に膨大な量の空間が存在しているのですから、中身の詰まった固体であるというのは幻想です。あなたがたの科学も、人の肉体の99パーセント以上は空間であることを解明しています。わたしたちが人の肉体を見る場合も、固体としてでなく空間として知覚します。そうした知覚の仕方は、あなたがたの仕方と同じではありません。わたしたちはあなたがたを、文字どおり人の姿をした星ぼしの銀河として見ているのです。」 (『ハトホルの書』第二章より)

 我が国を代表する神示である『日月神示(ひつくしんじ)』では、来るべき新しい世では人間は「半霊半物質」になると預告されています。しかし私たちの身体は、上記のような観点から捉え直すと、今このままの肉体が既に半霊半物質体であると言っていいようです。
 問題はそのことを実感できていないことです。この3次元物質世界のみにフォーカスしている五官頼みの知覚レベルは、低波動レベルなのです。その認識が自らの波動を下げています。制限多いこの世に呪縛された思考、行動しかできなくなっているのです。

 この世を古来から我が国では「現世(うつしよ)」と言い習わしてきました。今現れているすべての事象は、ただ写っているだけの「結果」にすぎません。霊的なあの世こそが「原因次元」であるのです。よって物事の根本的解決を図るには、原因次元に立ち返ることがどうしても必要です。 
 そのために古代から、瞑想や座禅などさまざまな行法が行われてきました。禅家では「動中の工夫、静中の工夫」と言っています。「2012」の今この時、自らが「霊的存在」であることを全身全霊で解ることが必要であると思われます。  - 完 -

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ハトホルの書 アセンションした文明からのメッセージ』 (トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著、紫上はとる訳、ナチュラルスピリット刊)
関連記事
『人間はあの世にも同時に存在している』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-7a9b.html

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人間はあの世にも同時に存在している

 -私たちの意識はこの世だけに向いている。が、それは「錯覚」であるらしい-

 今回のテーマは、『ニュートン世界と量子世界』シリーズの結論部にしようかと考えていたものです。しかし同シリーズではシナプスやニューロンなど、脳を中心として述べてきたため同シリーズに含めるのは止めにしました。
 同シリーズ(1~4)で、脳内のシナプスが「ニュートン世界と量子世界が出会う場」である可能性をみてきました。それでは私たちの「身体」にまで広げた場合どうなのでしょうか。今回はそれについてあらためて考えてみたいと思います。

 身体はこの世に現れている典型的な例と考えられてきました。例えば「霊と肉の戦い」は、キリスト教における最重要テーマの一つです。キリスト教的文脈では、肉(肉体的、身体的なるもの)は霊の対極に位置するもの、という二項対立的概念として捉えられてきたわけです。
 それは宗教のみならず、現代医療においてもそうです。中には精神分析や心身医療などという分野もあるにはありますが、主流は精神や意識と体はまったく別物として切り離し、身体各部位の器官や臓器などを独立してそれらの異常(疾病)を治療することが目的です。

 私たちの身体は本当にニュートン世界に丸ごと浸りきっている存在なのでしょうか。どうもそうではないようなのです。
 私たちの身体は、骨格、頭脳などの器官、心臓などの臓器、筋肉、神経、血液、リンパ腺などによって構成されています。それらをさらに細かく見ていくと、例えば胃腸などは膨大な数の細胞が集まって形成されているわけです。
 ここまでは確かにニュートン世界に属しているといえます。

 しかしさらに分け入って見ていくと、細胞の一つひとつを構成しているのは分子の集合体です。分子はさらに原子、電子、陽子、中性子、素粒子となり、みごとに量子世界に入ってしまうわけなのです。
 『ニュートン世界と量子世界(2)』で見たところ、高分子のサイズである「20nm(ナノメートル)」がニュートン世界と量子世界を分ける境界値なのでした。そこから飛躍して考えると、ニュートン世界は「この世」、量子世界は「あの世」となるのでした。

 私たちの顕在意識はほぼ100%「この世の事象」に固定されており、身体はこの世だけに存在しているものとつい思いがちです。しかし上のように超ミクロレベルまで探っていくと、私たちの身体は量子世界の超ミクロ粒子によって支えられていることが了解されてきます。そしてこれら各部位の超ミクロ粒子群は、潜在意識下で絶えず脳に情報を伝えてきているのです。
 
 そのことから、私たちの身体はこの世だけではなく「あの世」にも半身を浸している、別の表現をすれば「この世とあの世に同時に存在している」ということになるのです。

 こうしてみると、仏教で法然や親鸞などの浄土宗系では「極楽浄土は西方十万億土という遥か彼方にある世界」と説いていますが、あの世はそんな彼方にある世界ではないということです。というより、「この世とあの世は合わせ鏡」というのが真実です。
 最も阿弥陀経でそう説かれているのは、五濁悪世の衆生が極楽往生を遂げるのはそれほど難しいことなのだ、「だから称名念仏に専念し弥陀の本願に救い取らるべし」ということが本意だったのかもしれません。

 少し余談になりましたが。つまり私たちは実は「生きながら死んでいる存在」なのであり、死んでからあらためてあの世に行くのではないということです。また私たちの身体は、この世だけで単独に離れ小島のようにぽつんと存在しているのではないということです。

 とは言っても、肉体人間としての私たちは、そんなことをおいそれと得心できるものではありません。私たちの感覚器官である五官は、その代表例の視覚がそうであるように、ニュートン世界であるこの世の事象のみを見るように固定されているからです。
 聴覚、味覚、触覚、嗅覚すべてそうです。その意味で五官という感覚器官こそが私たちをこの世に縛りつけている根源といっていいのかもしれません。  (以下「続」につづく)

 (大場光太郎・記)

関連記事
『ニュートン世界と量子世界(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-6068.html
『ニュートン世界と量子世界(2)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-bfea.html
『ニュートン世界と量子世界(3)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-0c99.html
『ニュートン世界と量子世界(4)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-bfea-1.html

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汚れつちまつた悲しみに・・・・・・

             中原 中也

  汚れつちまつた悲しみに
  今日も小雪の降りかかる
  汚れつちまつた悲しみに
  今日も風さへ吹きすぎる

  汚れつちまつた悲しみは
  たとへば狐の皮裘(かはころも)
  汚れつちまつた悲しみは
  小雪のかかつてちぢこまる

  汚れつちまつた悲しみは
  なにのぞむなくねがふなく
  汚れつちまつた悲しみは
  懈怠(けたい)のうちに死を夢む 

  汚れつちまつた悲しみに
  いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
  汚れつちまつた悲しみに
  なすところなく日は暮れる・・・・・・

…… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 中原中也の代表的な詩の一つであるこの詩は、はじめに昭和5年(1930年)4月の『白痴群』6号に発表されました。中也22、3歳頃に作られたと思われます。
 「汚れつちまつた悲しみに」
 ツッパリ少年のやけっぱちな捨てゼリフのようなこんな表現こそは、中原中也の真骨頂です。それまではついぞ現れたことのない画期的な新しい詩表現だったはずです。

 この詩の主語であり主題であるのは「悲しみ」です。それもこの詩における「悲しみ」は、乙女チックな甘い悲しみなどではなく、もっと切実な、生の根源にも関わりそうな悲しみです。都合8回もの「汚れつちまつた悲しみ」のリフレインが、そのことを示しています。
 さらに言えば、詩には表れていない本当の主語であり主題は、中原中也その人と言えそうです。
 「悲しみの主(ぬし)」の中也が町をさ迷い行くに、小雪は降りかかるし、風さえ容赦なく吹きつけると言うのです。
 中原中也の悲しい心模様の表出であるかのように。

 かくまでに中也をして「悲しみ」に陥れたものは何だったのでしょうか。
 それは、故郷(山口県)の父母の期待に添いたい想いは強いのに、実際は東京で後の坂口安吾や織田作之助といった「無頼派」の走りのような生活をしている、中也自身によってもたらされたものなのかもしれません。
 また時代背景も見逃すことはできません。この詩の発表の前年の昭和4年、芥川龍之介が「ただぼんりした不安」という言葉を遺して自殺しています。欧米式の近代化を急ぎすぎる、当時の唯物社会を覆う得体の知れない不安感を的確に捉えた言葉です。
 若き詩人の中原中也は、そんな時代の空気を人一倍敏感に感じ取っていたに違いありません。

 若くて純粋な心の持ち主ほど、自身が「汚れつちまつた」ことに敏感なものです。分けても中原中也は過敏すぎる神経の持ち主でした。それだから心のセンサーは、「悲しみ」という感情をびんびん伝えてくるわけです。
 その意味でこの詩は、近代詩中の代表的な「青春の詩」の一つと言えると思います。

 「悲哀の中に聖地あり」 (オスカー・ワイルド)
 80余年の時空を超えて中原中也のこの詩は、今の若い人たちにも響くものがあると思います。「悲しみ」という感情を味わうのは辛く苦しいものです。しかし砥石のようなこの感情があればこそ、魂は磨かれ成長できるのです。
 世知長けて感情を鈍磨させた大人のようになるなかれ。バラエティ番組などに安直に逃避することなかれ。悲しみは悲しみとしてしっかり味わってほしい。

 -初雪が降った夜更けに

 (大場光太郎・記)

中原中也の詩
『帰郷
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-e068.html
『サーカス』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-ec4a.html        

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「下山の時代」について考える

  大峠には上りもあれば下りもあるぞ  (『日月神示』より)

 『日刊ゲンダイ』中ほどの13面左上段に、月曜日から金曜日連載の『流されゆく日々』というコラムがあります。このコラムの作者は作家の五木寛之(敬称略)です。既に連載回数は8870回以上にも上っています。おそらく同紙で最も息の長い名物コラムといっていいのでしょう。

 話は少し脱線しますが。私が日刊ゲンダイという夕刊紙を知ったのは、今から30年以上前の昭和54年(1979年)のことでした。30歳を過ぎてから初めて都内某所で勤務したことにより、帰宅時駅の売店で買ってそれを読みながら電車に乗って帰るのが日課のようになったのです。
 当時からもう一方の“夕刊紙の雄”が『夕刊フジ』でしたが、私には『日刊ゲンダイ』1、2面の「反権力的論調」が好きでこちらをもっぱら読んでいました。

 その後私は3、4年で都内勤めを辞め、同時に日刊ゲンダイ購読もしばらく休んでいました。購読を再開したのは2003年のことです。この年イラク戦争が起こりましたが、私は米国べったりのイラク戦争報道に嫌気がさし、20歳の頃から購読していた朝日新聞をスパッと止めました。
 とは言っても「日々のニュース」には飢えていました。そこで日刊ゲンダイをまた読み出したのです。その頃では近くのコンビニで同紙が気軽に買えるシステムになっていましたし。

 昭和54年当時から五木寛之の『流されゆく日々』コラムはありました。五木寛之といえば若い頃は『青春の門』『青年は荒野をめざす』『蒼ざめた馬を見よ』(直木賞受賞)なとの小説によって、私の同世代から支持の高い作家の一人でした。
 それ以前に五木が男性雑誌だかに寄稿した一文を読んでみたことがあります。結構過激なことが書いてあったと思いますが、私にとってさほど関心を引く作家でもなく、彼の小説は一冊も読んだことがありませんでした。

 そのくらいですから、当時から五木寛之の『流されゆく日々』を熱心に読んだことはありません。たまに気になるタイトルがあった時に、ざっと流し読みするくらいなものでした。しかしさすがは五木寛之です。さりげない日常的なエッセイにも、時にキラッと光る一文があり、そのつどハッとさせられてきました。
 そんな五木寛之は50代の頃大病をし、それを契機に「命」や「人生」についてより深く考察するようになっていったようです。その一つの表れとして「親鸞思想」に深く傾倒し出したのもこの頃からです。(同氏の『親鸞上・下』は、何百万部という大ベストセラーです。)

 過激だった五木寛之を多少知っている私には、何か変に悟り澄ましちゃった印象が否めません。が、これは同氏の闘病による思想的深化というべきもので、余人があれこれいうことでもありません。
 しかし時折り『流されゆく日々』に目を通すに、同氏の観方の底流にはどうも仏教式の「諦観(ていかん)」が色濃く流れているようで、『どうもいただけないなあ』という感を抱かせられることもあるのです。

 そんな五木寛之。昨年秋頃から同コラムで「下山の時代」という同氏独特の用語を時折り用いておられます。長期低迷化する我が国経済。追い討ちをかけるような東日本大震災と福島第一原発事故。加えて我が国がいつ呑み込まれてもおかしくないユーロ危機。さらにささやかれる欧米資本主義の終焉…。
 世界なかんずく日本はこの先もはや上がり目など望むべくもない。そこから着想した言葉だったのだろうと推察されます。

 我が国を取り巻く深刻な状況から、五木寛之はこの時代を「下山の時代」と命名したのです。確かに言いえて妙なところがあります。(同氏の近著に『下山の思想』あり。)
 かつてバブル絶頂期を頂点に、国民全体がひたすら上(経済的繁栄)を目指して進んで行けばいい時代は完全に終わりました。
 下山の今の時代は、経済一辺倒ではない新しくて深いビジョンが求められるとする同氏の考えには同感です。
 また闇雲に上を目指していた時代よりも、下山の時代は下界に広がる景色をじっくり眺めて降りていける、より精神的な豊かさも発見できるという考え方にも共感できます。

 ところで話はいきなり飛躍しますが、冒頭に掲げた神言です。
 「大峠には上りもあれば下りもあるぞ」
 「大峠(おおとうげ)」とは、大本(教)以来唱えられてきたことで、人類は「この世始まってかつてない“世の大変”」を迎えるという事態を指しています。あらゆる指標から、今がまさにそのプロセスの真っ只中とみることができそうです。

 その観点から、五木寛之の「下山の思想」は一面ではその通りと思うのです。しかし『日月神示』では「上りもあるぞ」とのお示しです。もの皆下りゆく一方のようなこの時代、何が「上り」だというのでしょうか。
 それは五木寛之が下山に一緒に含めてしまっている「精神的豊かさ」を向上させていかなければならないということだと思われます。今の局面は、物質的豊かさ(体)から見れは「下り」であり、精神的豊かさ(霊)からみれば「上り」だということです。言い換えれば、今ほど精神的豊かさの追求にとって好条件の時はないということです。

 そのことから私流の浅読みでは、「大峠」とは「霊と体」との絶妙なバランス地点のことなのではないだろうか、と思われます。この世は今後ますます精妙世界に進化していくことが予測されます。しかし当面「霊のみの世界」にはなりません。半分は体的側面が残るのです。
 「霊に偏してもならず、体に偏してもならず」。「霊五体五」の絶妙なバランスこそ必要だということです。

 「すり鉢に入れてこね回しているのざから、誰一人逃れようとて逃れられんのざぞ」という厳しいお示しもあります。「世の大変」に巻き込まれないためにも、今地上にいるすべての人に、「霊五体五」の生き方が求められているのではないでしょうか。

 (大場光太郎・記)

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懐かしき『西遊記』


 上の絵は、18日のグーグルトップの「変わりロゴ」です。『西遊記』をモチーフにしたものであることは明らかです。
 今回も「グーグル遊び心」満点です。孫悟空のところをクリックすると、悟空はくるっとこちらに向き直り目をギョロつかせて笑うし、(別嬪天女が大勢いる天界の不老長寿の)桃は食われるし、伸縮自在の如意棒はロゴを飛び越えて画面いっぱい予測不能な右回転、左回転をし出すし…。

 で今回は、『西遊記』の作者の「生誕何100周年」ということか、それにしてはいつになく大昔の話だぞ、と不審に思いました。
 と、やはりそんな大昔のことではなく、「万籟鳴 万古蟾 生誕 112周年」ということなのでした。すると今度は「万籟鳴 、万古蟾」なる人物と、『西遊記』との関わりがさっぱり分かりません。

 検索の結果、万籟鳴(ウォン・ライミン)万古蟾(ウォン・グチャン)は双子の兄弟で、1941年長編アニメ映画『西遊記 鉄扇公主の巻』を製作したことが分かりました。
 えっ。1941年とは、日本の年号で言えば昭和16年ですよ。第二次世界大戦の真っ只中で、この年の12月8日の真珠湾攻撃によって日米戦争の火蓋が切って落とされた年でもあります。日中間でも、1937年(昭和12年)以来中国各地で日中戦争が泥沼化していた時代です。

 そんな暗雲垂れ込めた時代に、よくもアニメ映画など作れたものです。やはり製作地はアジアの一大文化都市上海だったのでしょうか。大連、北京、南京そして上海…。ということは、次々に日本軍に蹂躙されつつある中で、祖国愛に燃える万兄弟による大きなレジスタンスの意味合いがあったことでしょう。
 民族の心を奮い立たせるにしても、「中国三大奇書」の『三国志』や『水滸伝』は当時の技術ではアニメ化は難しい。その点、孫悟空のキャラクターから『西遊記』が選ばれたのでしょうか。

 日米開戦前夜の極東の一等国日本には、もうアニメ映画を作る余裕も遊び心もありはしません。その映画がどんな出来ばえだったのか知る由もありませんが、いずれにしてもアジア初の記念碑的アニメーション映画となったのです。
 どんな出来ばえ?手塚治虫は戦後『ぼくの西遊記』を描きましたが、「万兄弟アニメ」から強い影響を受けたほどのものだそうです。

 私にとって最初の『西遊記』は漫画でした。昭和33年頃(私が小学校2、3年頃)当時の少年漫画雑誌に『西遊記』が連載されていたのです。
 当時の少年は誰もそうだったことでしょう。まだテレビもゲーム機などもなかった時代、「漫画」は子どもたちの大きな娯楽でした。私もいっぱしの「漫画少年」で、当時お世話になっていた町の母子寮で、毎月各戸に回ってくる『少年画報』『少年』『冒険王』などの漫画雑誌(月刊)が待ちどおしくてたまりませんでした。

 その中に『西遊記』があったのです。漫画家の名前もはっきり覚えています。「杉浦茂」です。当時子どもたちに最も人気のあった竹内つなよしの『赤胴鈴之助』が正統漫画とすると、こちら『西遊記』は“変てこ”な描き方の漫画なのです。
 それで私より2つほど年上の先輩などは「何だよ、こんな漫画」と吐き捨てていましたが、私には存外面白かったのです。第一主人公の孫悟空からして笑っちゃうキャラクターで、愉快なしぐさで…。

 あゝこんな感じだったんですかねぇ。何せもう半世紀も昔読んだもの、うすらぼんやりとしか覚えていませんし、少し違ったイメージもあったのですが…。ただやっぱり懐かしいですね。

 私は小学校4年生から今度は「本の虫」になり、以後漫画からは遠ざかりました。だからマンガ事情はほとんど分からず、作者の杉浦茂も『あんな変てこ漫画を描いてたくらいだからどうせ三文漫画家だろ』とばかり思っていました。
 しかしなかなかどうして。杉浦茂(1908年~2000年)は手塚治虫などとともに、戦後漫画家を代表する一人だというではありませんか。戦前は『のらくろ上等兵』の田河水泡に師事し、戦後は独特のナンセンスギャグ漫画が熱狂的に支持され、その作風は赤塚不二夫などに受け継がれていったのだそうです。
 代表作は『猿飛佐助』。こちらは私が漫画に熱中した頃既に連載を終えていたようです。『猿飛佐助』も『少年西遊記』もずっと後になってから復刻版が出されています。

 次の記憶は、小学校高学年の時に観たアニメ映画『西遊記』です。調べましたら1960年公開の東映作品だそうです。手塚治虫の『ぼくの孫悟空』をベースに、東映黄金期に若い芸術家たちのエネルギーが結集した娯楽力作だったそうです。国内では文部省選定映画となり、海外での評価も高く「ベニス映画特別大賞」を受賞しています。
 後の「アニメ大国日本」のきっかけとなった映画だったのかもしれません。

西遊記のストーリー画像1

 どこかでも触れましたが、当時の田舎町の小学校では月に一度くらい、午後から町の映画館で映画を観ることもレッキとした授業の一環でした。この映画もそれで観たのです。

 確かこの映画についてだけは、国語の宿題として感想文を出させられました。ある日の夕方外で遊んでいて、そのことがふと頭をよぎり『どうやって書いだらえがんべ』と思ううち、頭の中で映画の中の美しいシーンがパーッと広がり思わずうっとりしてしまいました。
 それは冒頭まもなく、孫悟空や仲間の猿たちが元気に遊び回る、大きな滝つぼのような洞窟のシーンでした。実際映画館で観た時も、そのシーンのあまりの美しさに息を呑んだのでした。

 (大場光太郎・記)

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ニュートン世界と量子世界(4)

-脳の鍛錬でニューロンもシナプスも増えていき高度な「あの世情報」が得られる-

 量子力学によって科学は、「あの世のとば口」にようやく辿り着いたようです。
 「万物は波動なり」。最先端科学では、素粒子やクォークが最極微の単位といわれています。しかしどうやらさらにその奥に、「幽子」「霊子」「神子」と仮称し得るような超々微細要素が無限に連なっていそうです。
 「あの世のあの世、さらにまたその奥のあの世」。仏教の「空観」でいえば、「空の空のまた空の、そのまた空の空々の」という想像を絶する超々精妙波動世界…。

 話を少し現実的なところに戻します。
 私たちの脳内のシナプスは「この世とあの世が出会う場」である、というのは大変刺激的です。「インスピレーション」「直観」「閃き」などと呼ばれる超高度情報は、シナプスを飛び越え幾多のニューロンを経て「この世の私たち」にもたらされる、究極の「あの世情報」なのかもしれません。
 インスピレーションは「霊感」と訳されます。この訳語は、それがどこからもたらされたのかを言い得て妙といえるのではないでしょうか。

 世に言う「天才」とは、脳内の「ニューロンハイウェイ」の通りが良く「シナプスジャンクション」との連結もうまくいき、かつ脳内くまなく張り巡らされきちんとネットワーク化されているような非凡人をいうのかもしれません。
 例えば西洋音楽史上最高の天才と讃えられるモーツァルトは、交響曲でもピアノソナタでもバイオリン協奏曲でも、作曲する前にその曲全体のイメージを頭の中で完璧に把握していたと伝えられています。だからモーツァルトにとっての作曲とは、脳内で既に存在している「天来の楽の音(ね)」を、ただ五線譜に書き写すだけの作業に過ぎなかったのです。
 並みの作曲家が曲想につまり、ウンウンうなりながらワンフレーズごとを「ああでもない、こうでもない」とこねくり回すのとはおよそ訳が違うのです。

 モーツァルトは別格としても、歴史上の芸術的天才にはこのようなエピソードがまゝみられます。
 ルネッサンスの天才ミケランジェロは、かの『ダビデ像』を、彫刻する前の大理石の中に既に鮮明な3Dイメージとして思い描いていたに違いありません。
 同じくルネッサンスの偉大な作家ダンテは、美しい恋人ベアトリーチェの死の痛苦によって本来の天才性が呼び覚まされ、かの『神曲』の地獄篇、煉獄篇、天国篇の各篇の構想が怒涛のように押し寄せてきたのかもしれません。

 今回の一方の主役であるニュートンですら、木からリンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を発見したといわれているではありませんか。もっともこの有名なエピソードは、後世の誰かによって流布された根拠のないものだそうですが。
 いずれにせよ「この世の大法則」であるニュートン力学完成の元となったのは、インスピレーションという「あの世の情報」だったことは間違いなさそうです。

 「天才」たちの逸話には大いに興味をそそられますが、ひと先置いといて。
 問題は私たちです。凡人たる私たちは、どうして自在にインスピレーションや閃きが得られないのでしょうか。芸術的インスピレーションなど要らないとしても、日常生活や仕事上のことで、ちょっと卓抜なアイディアでも得られれば、それによって今より明るい未来が開けるかもしれないのですから。

 しかし悲しいかな、いくらこねくり回しても駄作的なものしか出てこない。やはり天才と凡俗は頭の構造が根本的に違うのでしょうか。
 以前はそう信じられていました。しかし最近の脳科学の進歩により、人間に持って生まれた頭脳の優劣などあまりないことが定説になりつつあります。大脳新皮質だけでも約140億個もの脳細胞があるといわれています。通常人はそのうちわずか数パーセントしか使っていないそうです。これをあと10パーセント使っただけで、アインシュタインレベルに到れるといいます。

 要は頭脳も筋肉などの身体機能と一緒で、使わなければどんどん萎縮し、使えば使うほどニューロンやシナプスなどの未使用の回路が開かれていくらしいのです。使えば使うほど頭は良くなっていくのです。

 脳にとっての何よりの栄養素は、「希望」「自信」「信念」「感謝」「感動」「好奇心」「探究心」などの明るい前向きな気持ちのようです。それと、より高度な情報は「あの世」からもたらされるわけですから、「優れたスピリチュアル情報」を得る努力も不可欠です。
 また「左脳偏重」が現代人の特徴ですから、大容量のイメージ脳である右脳を開発し、左右両脳のバランスを取る心がけも必要です。天才たちは例外なく抜群のイメージ力を有しています。

 「加齢によって脳も退化する」などという怠惰な常識は打ち破りましょう。70歳でも80歳でも、ニューロンやシナプスを増やすことは可能なのですから。
 「脳の若さは体の若さ」。共々生きている限りは創造性に溢れ、身も心も若々しく、元気溌剌でありたいものです。  -  完  -

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『マグダラの書』(トム・ケニオン、ジュディ・シオン著、鈴木里美訳-ナチュラルスピリット刊)
『ウィキペデイア』-「ニュートン力学」「ニュートン」「シナプス」など
『相対性理論とニュートン力学』
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kareno/zatudan/soutairon2/soutaironm04.htm
東京都神経科学研究所サイト『シナプスとは』(なお同サイトから、本シリーズ(2)中のシナプスの図と、シナプスの記述の概略を借用致しました。)
http://tmin.igakuken.or.jp/medical/17/synapse1.html

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ニュートン世界と量子世界(3)

 -ニュートン世界は「この世」、量子世界は「あの世」という仮説について-

 冒頭お断りしておきます。前回「ニューロン」について触れませんでした。ニューロンとは、既に述べた「神経細胞」のことをいいます。神経細胞というよりニューロンといった方が一般的なので、今後はその表記に替えさせていただきます。

 そこで前回の要約をすればー。
 脳内に無数に張り巡らされたニューロンのネットワークによって、私たちの脳は想像以上の情報を得ることが可能となり、かつその情報を記憶するなどの大きな働きをして、日常生活をいっそう豊かなものにしています。
 このニューロンとニューロンの間にある間隙が「シナプス」なのでした。

 20nm(20ナノメートル) = 0.00000002m
 このような極微のサイズが、ニュートン世界と量子世界を分ける境目なのでした。
 神経が捉えた刺激はニューロンを通って伝わり、次のニューロンにたどりつくためには、この極微の間隙を飛び越えなければならないわけです。
 それはニューロンの距離を通り、ハードルを飛び越えて次のニューロンに移るリレー競争をしているようなものです。実際にハードルを飛び越えるのは、「神経伝達物質」と呼ばれる分子です。

 こうして無数の神経伝達物質が、常にシナプスのハードルを飛び越えているわけです。だから毎瞬が、約20nm未満の分子による「量子イベント」ということができます。神経伝達物質の中には、ジャンプに成功するものと失敗するものとがあります。ジャンプに成功した神経伝達物質のみが、次のニューロンで反応を起こすのです。

 五官(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)による感覚知覚のみならず、私たちの「思考」も常にこのステップを経ています。これらのハードルが脳内の思考を司る部分(大脳新皮質)にあると、私たちは思考を体験するということになるのです。
 このように私たちの思考の源は、量子的現実の不思議な“トワイライト・ゾーン”に存在しています。時として、奇抜で予測不能な思考が出てきたりするのはこのためです。

 ここからは、これまでの科学的知見から、思い切って「量子的飛躍」(クォンタム・リープ)してみましょう。
 今から20年以上前天外司朗(てんげ・しろう)という人が、『ここまで来た「あの世」の科学』という本を出しベストセラーになったことがありました。
 この本の中で同氏は、量子力学の育ての親といわれるニールス・ボーアが打ち出した「明在系」「暗在系」という用語を巧みに使っていました。明在系とは本考におけるニュートン世界で、暗在系とは量子世界ということになります。

 ところが天外氏は、明在系を「この世」暗在系を「あの世」と大胆な仮説を打ち出したのです。思い切ってこの仮説に乗っかってしまえば、私たちは脳内のシナプスによって、「この世とあの世が出会う場」を有していることになるわけです。
 思考を例に取れば分かりやすいかと思いますが、その結果私たちの思考の本源は「あの世」(量子世界、暗在系)だということになるのです。だから幾つものニューロンを通りシナプスというハードルを飛び越えながら、私たちに“思考の素”を届けてくれる“思考伝達物質”である分子は、あの世からの“メッセンジャー”のようなものといえるのです。

 既にみたとおり、分子、原子、電子、素粒子などは、「粒子」であるとともに「波」でもあるのでした。粒子は物質性、波は非物質性、エネルギーなのですから、分子以下の超ミクロ体は物質にして物質に非ず、という何とも摩訶不思議な性質を持っていることになります。分子以下の超ミクロ物質は、この世とあの世を行ったり来たりできるようなのです。  (以下次回につづく)

【注記】少し業務がたまり気味です。この先更新がままならないことになるかもしれませんのでご了承ください。

 (大場光太郎・記)

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ニュートン世界と量子世界(2)

 -ニュートン世界と量子世界が、私たちの脳内神経組織「シナプス」で出会う-

 通常の大きさの物体はニュートン力学に従います。しかし前回みたように、分子、原子などの超ミクロレベルになると必ずしもニュートン力学に従うことはなくなるのでした。その非ニュートン力学的運動や性質などを探求するのが、量子力学の役割であるわけです。

 目に見えるたいがいの物体は、上から下へと、落差が大きいほどより重力加速度を増して落下します。これはその物体にニュートンの万有引力の法則が働いていることの動かぬ証拠です。なぜそうなるかと言えば、りんごでも石コロでも何でも、これらの物体は重力場を持つに十分な質量(密度、重さ)を有するからです。

 ところが分子以下の超ミクロの世界では様相が一変してしまいます。
 分子でも原子でも電子でも、一定方向への引力が働いていようがいまいが、上にも下にもスピンしたりと自在に飛び回るのです。
 なぜこんな勝手気ままな振舞いが出来るかと言うと、分子以下はあまりにも幽(かす)かな質量であるため、重力場の影響を受けずに運動できるからです。

 ここから分かることは、ある物体(分子や原子も一応物体とみなします)がニュートン力学の影響を受けるか否かの境目となるのは、その物体の「サイズ(大きさ)」にありそうです。
 ある一定サイズ以上だとニュートン力学の影響を受け、それ以下のサイズだとその影響を免れ、量子力学のアプローチに待たなければいけないということです。

 ではニュートン力学と量子力学とを分ける境目となるのはどれくらいのサイズなのでしょうか。
 これはズバリ「20nm」です。
 「nm」とは「ナノメートル」ということで、1nmは1/10億mです。だから20nmは「0.00000002m」ということになります。いずれにしても人間の肉眼で可視できる範疇を遥かに超えた、想像を絶する超ミクロな不可視の領域です。

 今ひとつピンときませんので、不可視の物体を大きいものから順にたどってみましょう。
 アメーバ→1/1万m、赤血球→1/10万m、バクテリア→1/100万m、牛痘ウイルス→1000万mと小さくなり、次に高分子(大きな分子)→1/1億m、(通常サイズの)分子→1/10億m、小さな分子、原子→1/100億mと続きます。
 もうこのレベルともなると通常の顕微鏡では見えず、電子顕微鏡でようやく可視できるレベルです。

 以上ここまで長々と述べてきたのは、他でもない、私たち人間の脳内にニュートン世界と量子世界の出会う場所があるとされるからなのです。
 私たちの脳内の神経細胞間にはごく小さな間隙が隠れています。このような神経細胞間の空間は「シナプス」と呼ばれ、これらの間隙の平均距離がおよそ「20nm」で、ニュートン力学と量子力学との境目のサイズと一致するのです。



 上の図はシナプスの概念図です。シナプスを簡単に説明します。
 脳には千億とも言われる膨大な数の神経細胞が存在し、これらの神経細胞はお互いに情報をやりとりすることで、外界あるいは内臓からの膨大な情報を処理しています。そしてこれらは特定の神経細胞同士が連絡し合い、回路を形成しています。その神経細胞間のつなぎ目の特殊な構造をシナプスというのです。
 例えば目が赤いリンゴを見た場合、網膜の感覚細胞が光や色を感受し、その信号が神経を伝わって脳の奥の方に入っていって「赤いリンゴ」と認識するわけです。

 それまでに幾つもの神経細胞を乗り換えて信号が伝わります。その信号が乗り換えるところを、神経のつなぎ目ということで、ギリシャ語で「繋ぐ」という意味のシナプスと呼ぶのです。(シナプスには、電気シナプスと化学シナプスの2種類があります。)
 つまりシナプスは神経細胞が他の神経細胞や、その効果器官(筋肉、腺細胞)などに情報を伝える場です。今日では、シナプスの数が増加したり減少したり、あるいはシナプスの形態が変化することが、脳の機能すなわち学習、記憶、運動機能に直接的に反映されると考えられています。

 近年電子顕微鏡で見た結果、神経と神経のつなぎ目(シナプス)には、約「20ナノメートル」の間隙があることが分かり、このシナプスこそがニュートン世界と量子世界が出会う場所として関心を集めているわけなのです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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