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今この時&あの日あの時

 当ブログのタイトル、「今この時&あの日あの時」につきまして、少しご説明させていただきます。

 まず「今この時」についてです。言い変えますと、「時は今!」「今ここのこの瞬間にのみ生きよ」ということです。英語では、「be here now」となります。つまり、今この環境(たとえそれがいかなるものであっても)の中で生きている、その一瞬一瞬にフォーカスして、生命を燃焼させて生きる。このことこそが重要なのだ、ということです。

 フォーカスすべき(焦点を合わすべき)なのは、過ぎてしまって二度と取り戻せない事どもや、遠く離れ去った思い出の場所なのではない、ということです。ややもすれば「人間」は、とかく過去の出来事を悔やんだり、思い悩んだり…。まだ来ていもしない将来への不安にかられたり…しがちなものです。それではとても、「今この時」に集中して生きることはできません。

 誰かが言っておりました。「だから人間は、どんどん年を取って早く老け込んじゃうんだよ」と。皆様。ただただ今生かされているこの場、この一瞬にのみ100%フォーカスして,生の充実を実感して生き続ける限り、たとえ肉体年齢が何十歳であろうとも、常に若々しく生きられるそうですよ! だったら、ぜひぜひそういう生き方を、早速「今この時」から始めましょうよ!

 「今ここのこの瞬間にのみ生きよ」。これはまず何より、私自身への自戒のことばでもあります。以上のような意味合いをこめた「今この時」です。

 とは申しましても。人間は「過去を記憶する生き物」です。過ぎ去ったことごとを、一瞬一瞬に振り払って、完全に「今この時」にのみ生きることは、よほどの達人ならいざしらず、凡人たる私たちにはおよそ不可能です。

 私はそれでいいと思っています。過去のことどもを懐かしく回想することは。そこに暗い影や、ネガティブな悲哀感などが付ずいしていさえしなければ。いえ。仮に辛く、苦しく、惨めで、痛ましい過去の出来事だったとしても。高められ清められた、「今の光りの想い」で洗い直して、そのような出来事をも「加光(かこ)」にしてしまえるのならば。

 セピア色の懐かしい思い出は、セピア色そのままで。もしそれが、グレーやダークブルーの嫌な思い出ならば、きらきら輝くパステルカラーの思い出に。想い自体を、変化、変容。そうすれば、「回想にふける」ことは、決してマイナスではなくなります。

 これからこのブログでは、そのようにして「今この時」から、光りを当て直した「あの日あの時」を、折りにふれてつづっていたきいと考えております。もちろん、常に新しい「今この時」の新鮮な出来事も。ただ記事によりましては、面白くするために幾分マイナスの入った「あの日あの時」に触れることがあるかもしれません。しかし私はそのような場合でも、以上のような心持ちで、常に臨んでおりますこと。どうぞご了承たまわりたいと思います。

 なお、先々のことにつきましても、余計な心配をしないことに致しましょう。「未来は輝いている」。社会総体も、皆様ご自身の未来も。この先ずっと。「未来」について、皆様にお伝えしたいことは、ただその一言に尽きます。

 それでは皆様。今後とも末永く、当ブログごひいきくださいませ。

(大場光太郎・記)

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所感」カテゴリの記事

コメント

大場様。「粗忽のくまさん」またやってしまいました! 王さんのお父さんは福建省出身と言いましたが、確認したら浙江省の間違いでした。
 おっしゃるとおりWBCの4番に松井がいてくれたら、監督はどんなに助かることでしょうね。先の大会で王さんのたっての頼みを彼が拒否したのは、彼なりの信念があったとはいえ、同じ北陸の人間としては少々寂しかった。国籍という点では日本人でない王さんが、日本野球の名誉のためにあれほど精魂を傾けている姿をみるにつけ、なにか王さんに申し訳ないような気がしましたね。思わずあのルイ・パスツールの有名な言葉を思い出しましたよ。
  『科学に国境はない。しかし科学者には祖国がある。』
スポーツにも同じことが言えませんか。

ところで、どんな学校の卒業生にも上はピンから下は私のようなキリまでいるものです。

投稿: くまさん | 2009年3月21日 (土) 09時01分

 王さんの父親の出身省は直しておきます。
 松井のWBC出場辞退は、ヤンキースのチーム事情とともに、イチローとの確執のようなものも裏事情としてあると思います。松井はあまり気にしていないようですが、イチローが松井をより強く意識しているみたいです。松井がヤンキースに入ることになった時からそうでした。
 前回のWBCの際は、イチローが松井に「出場するかどうか」わざわざ確認したようです。もし松井出場なら、お山の大将でいたいイチローにとって、目の上のタンコブになりかねません。松井不出場で、事実上ジャパンは「イチローのチーム」になったと思います。イチローの方が松井より一歳年上。ある時名電工のイチローは、星陵高校の松井を見た時から、『こいつただ者じゃないな』と感じたようです。以上長い余談でした。
 もし今回も王貞治が監督が出来るようだったら、誰も文句は言わなかったことでしょう。もう35年くらい前のことです。ある夕方、仕事で厚木国際ゴルフ場にいました。当時はV9真っ只中。シーズンオフの慰労のためだったのでしょう、V9戦士たちがプレーを終えて、クラブハウスに引き上げてくるところをたまたま目撃しました。例によって長嶋が柴田らと談笑しながら先頭を切って。しかし王さんは、一番最後に一人寂しそうにうつむき加減で…。その頃既に数々のタイトルなども手にしていたでしょうに。チーム内での諸事情を垣間見た思いでした。
 いえいえ、「キリ」とはご謙遜を。それに人生今や90年、100年の時代です。「志を立てるのに遅すぎるということは決してない」。共々、今後の可能性を改めて追求していきたいものです。
 『今この時&あの日あの時』は、当ブログタイトルそのもの。開設にあたり、一番最初に書いた原点記事のようなものです。以来1年弱。今後とも「初心忘るべからず」でいきたいと存じます。ありがとうございました。

投稿: 大場光太郎 | 2009年3月21日 (土) 12時45分

 同じメジャーリーガーであっても、マリナーズとヤンキースではやはり重みが違います。プライドの高いイチローにとって、オリックスからマリナーズというコースしか選べなかった自分と比べ、巨人からヤンキースへというエリートコースに乗ってきた松井に対し、内心含むところがあったと考えるのは自然の人情かもしれません。しかし、そのことが原因で松井がWBC出場を辞退したとは、私にはちょっと考えられませんが。
 
 当ブログのタイトルの心は、将に風姿花伝の「初心忘るべからず」の心の意ですね。世阿弥が能の「命」として最も大切にしたのは「演技」における「花」、つまり能の舞がそのまま花の姿となるのを理想としたそうですね。そしてそれは人生という舞の理想でもあると考えたのですね。あらためて噛み締めたいものです。

投稿: くまさん | 2009年3月21日 (土) 22時22分

 確かにレギュラー争いの激しいヤンキースです。チームを最優先したとも考えられます。また松井自身「日本代表には特別こだわらない」云々とも述べています。しかし本心ではどうか。『チームリーダーが二人になっては…』あるいはずばり『イチロー(さん)とは一緒にやりたくないな』。松井自身の出る、出ないの決定に、イチローへの配慮が多少なりとも働いたものと私は見ています。
 松井が海を渡った年か次の年かのシーズンオフ、帰国した二人の多分最初で最後の対談番組がありました。イチローは松井に対して、始めから終わりまで少し喧嘩腰、しつこくチクチクやっていました。見ていて不愉快になったくらいです。さすがの松井も『しょうがねえなー』と思ったでしょうが、最後まで大人の対応で受け流していました。技術レベルはともかく「人間的器量」からすれば、イチローより松井の方がずっと上だと私は思います。
 「初心忘るべからず」。お説のとおりかと思います。忘れまいと思いつつ、つい忘れてしまうのが「初心」。改めて諸事「初心忘るべからず」。肝に銘じたいものです。

投稿: 大場光太郎 | 2009年3月21日 (土) 22時57分

 さすが大場様はプロ野球界をよく知っていらっしゃるだけあって、分析が鋭いですね。他人との無用の軋轢を好まない松井の性格からして、なるほどその可能性はありますね。見ていると、イチローという人は自分にも厳しいが他人に対してもかなりキツイ性格のようですね。そこがイチローという玉のキズかも知れません。ただこの瑕疵は治しづらい厄介なキズですね。

投稿: くまさん | 2009年3月22日 (日) 07時06分

 とんだ「イチロー論」になりますが。彼は確かに天才肌です。おそらく自身でもひそかにそう自負しているのではないでしょうか。そうなると、自分より優れた他人が目の前に現われた場合、なかなか素直に受け入れがたい、認めたくないわけです。よく言えば職人肌、悪く言えば狭量ですね。今回イチローが今一つ調子が上がらないのは、青木宣親という自分と同タイプの出来る奴が『オレの境地に迫ってきているぞ』と内心思っているせいかな?などと余計なことを詮索したりします。
 しかし考えてみますと、「内なるイチロー」は誰の心の中にもあると思います。いや、この私の中にもあると言うべきです。この際問題になるのは、「度し難い狭量」ですね。これはリッパな人間の業というべきで、「今この時」何とかクリアーしなければならない課題の一つだと思います。
 

投稿: 大場光太郎 | 2009年3月22日 (日) 10時13分

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