« ひばりそしてつばめ… | トップページ | みどりの季節 »

「自然観」をめぐって

  二木先生の『千の風になって』の解説、興味深く読ませていただきました。特に、結論部分のキリスト教とアニミズムの対比論、また今日のキリスト教にも、アニミズムは基層として脈々と受け継がれているというお説。
 先生の造詣の深さと慧眼に改めて感服致しました。

 私も、たかだか二千年前以降に布教、入植してきたキリスト教に「数十万年の基層」を持つ「汎神論的アニミズムの精神風土」が、そう簡単に駆逐されることはないのだろうと思います。
 (パリなどの大都市はいざ知らず)現に、ヨーロッパの各地方では、未だにキリスト教とアニミズム的なものが分かちがたく習合しているような伝統行事や習俗があることを、承知しております。
 近年のヨーロッパ発の「エコロジー運動」は、キリスト教によって封殺されたかに見えた、太古の神々による「アニミズム・ルネッサンス」ではあるまいかと、私は考えます。

 先のコメントの中で、キリスト教を一方的に断罪するようなことを述べ、それにご不快を抱かれた方々もおられたかも知れません。その点深くお詫び申し上げます。
 私が同コメントを通して、暗にお伝えしたかったのは、かかるキリスト教の在り方が、今日アメリカがアフガン戦争、イラク戦争を引き起こした要因の一つになっているのではないだろうか、ということでした。

 私自身は、キリスト教の素晴らしさも、ある程度は認識しているつもりです。カトリック、プロテスタントとを問わず、人類の「霊性の進歩」また「文明の発達」にいかに寄与してきたことか(「中世の暗黒時代」はありましたが)。そして、例えば聖フランチェスコから殉教者・聖コルベそしてマザー・テレサまで、優れた霊的巨人をいかに輩出してきたことか。

 但しキリスト教の場合、私がいつもひっかかるのはその「自然観」なのです。
 浅学を弁えずに申せば、キリスト教は「神」「自然」「人間」の三者を、別個対立的に見るきらいがあるのではないでしょうか。極論を申せば、一神なる神の御前(おんまえ)では、時と場合によっては、人間はおろか自然さえも征服(殺戮、破壊)することも許されるのだというような…。

 他の面ではいざ知らず、こと「自然観」に関して申せば、私は仏教の方が優れていると考えます。仏教は「山川草木悉皆成仏」ー御仏の慈悲によって、我々衆生(人間)のみならず、山も野も川も禽獣虫魚も一木一草さえも皆成仏させようというのですから。自然破壊など起こしようがない、汎神論的アニミズムとも通底した思想です。(その分、文明の停滞は否めませんが。)
                        *
 私は先の『枯葉』のコメントを、その冒頭部分だけで止めておこうかなとも考えました。多分その方が、ずっと綺麗ですっきりしたでしょう。しかし私の中の「天邪鬼」が、それを許さないのです。『もっと書け』と。

 多分この『うた物語』の各コメント、今後とも不特定多数の方々のお目にとまると思います。長くも残るでしょう。よって誤解を与えるようなコメントはいけませんから、申し訳ございませんが、「説明責任」の必要を感じましたので特に述べさせていただきました。

 でも皆様。そんなことより、名曲『枯葉』を二木先生の名演奏で、どうぞ心ゆくまでお楽しみください。
 (大場光太郎・記)

 (この小論のそもそものいきさつにつきましては、 「二木絋三のうた物語」の『枯葉』にある私のコメントをお読みください。)
 

|

« ひばりそしてつばめ… | トップページ | みどりの季節 »

名曲ー所感・所見」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ひばりそしてつばめ… | トップページ | みどりの季節 »