鯉のぼり
鯉のぼり風で己(おの)が身肥やしけり (拙句)
本日は5月5日。こどもの日。端午の節句です。
この季節車で近所を回ってみますと、方々の家の庭で鯉のぼりが泳いでいます。そんな光景を見かけると、『おっ。この家にはやんちゃ盛りの男の子がいるのかな』と、ほほえましくなります。
真鯉、緋鯉、子鯉の鯉のぼりが色とりどりで、上から下に何匹も連なっていて。それに薫風が吹き込んで、胴体を大きくふくらませて真横に泳いでいたり。時に風がほとんどなかったりすると、支柱に沿ってだらんと垂れ下がっていたり。
(地域差があったかもしれませんが)私が少年時代を過ごした(遠い昭和三十年代のこと)山形の田舎町では、この季節でも鯉のぼりはあまり見かけなかったように記憶しています。それは(白黒)テレビがまだほとんど普及しておらず、あるのはその地域でも有数の資産家の家だけ。それと同じようなものだったのかなと思います。
極貧クラスの家のこどもだった私は、夕方友だちと示しあわせて、テレビのある「だんなすの家(旦那衆つまり金持ちの家)」に押しかけ座敷に上がらせてもらって、しばしテレビを見せてもらったものでした。
それはともかく。今このように多くの家で、鯉のぼりが風に泳いでいる姿を見られるのは、豊かな社会であることの一つのシンボリックな表れとして、大変喜ばしいことです。
ところでそもそも「鯉のぼり」は、どのようにして始まった習慣だったのでしょう。知っているようで、あまりよくは分からないところがあります。
こどもの日にあたって、昔ーそれが遠い昔であったとしてもー間違いなくかつて「こどもだった者」として、大いに興味をそそられます。
それで少し調べてみました。その結果、おおむね以下のようなことが分かりました。
「鯉のぼり」は、江戸時代中期以降に発明されたもののようです。
当初は「武者のぼり」というのぼり旗の中の「鯉の滝昇り」という、立身出世祈願の図柄から開発された、「鯉の吹流し」(幟旗の付属品)でした。それ以前、端午の節句に庭に立てられていたのは武者のぼりの方でした。
こうして大空で鯉が泳いでいる趣向の鯉のぼりは、武者のぼりの変形として考案されたもののようです。当初は武家から始まり、それが徐々に庶民の間にも広まって今日の隆盛な慣習に至っているもののようです。
私が居住している(神奈川県県央部の)厚木市では、晴れた日は、屋根より高い空で身をくねらせながら泳ぐ鯉のぼりの、西の方のずっと遥か先に、大山・阿夫利峯(あふりね)のひときわ高い峰が望まれます。
端午の節句の空のもと、郊外の田んぼにはレンゲ草、いたる所に新緑の木立、大山の雄々しい姿そして鯉のぼりと、実にのどかで平和な光景です。
(大場光太郎・記)
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コメント
例年ゴールデンウィークはすっきりした好天に恵まれるイメージがあります。ところが今年に限ってはここまでぐずついた天気が続きました。当地では3日続きで雨になってしまいました。
ところがこどもの日のきょうは、うって変わって大快晴です。晴れは「ハレ」で「祝い」に通じます。こどもたちの未来を祝福するように、すっきり晴れ渡ってくれてよかったです。
投稿: 時遊人 | 2012年5月 5日 (土) 11時40分