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春霞み

   大山(おおやま)も丹沢もみな霞みをり   (拙句)

 きょうもいいお天気でした。ただきのうのような快晴ではなく、空のほぼ全体をうすい雲が覆っています。しかし太陽はそのうすい雲をとおしてギラギラまぶしく、よってきょうもけっこう暑いのです。

 気象上では、雲が空全体の2、3割以下くらいなら「晴れ」、それ以上ならば「曇り」ということなのでしょう。では、本日のような空模様の場合はどうなのでしょう?晴れなの?曇りなの?
 まあそんな固いことは抜きにして。現にお日様はうすい雲をとおして輝き、我が下界のもの皆は明るいのですから。よって私の本日の日誌には、「晴れ」と記すことに致します。

 そんな具合の空模様の下(もと)で、当地の景色は?と申しますと。
 これが、遠くの景色ほど、うっすらと半透明な膜がかかったようにボーっと霞んでおります。昨日は山襞がくっきりと見えておりました大山の峰も、その右のそれよりやや低く連なる丹沢連峰も、その手前の幾重にも重なる山々も、みんな一つながりに霞んで見えました。

 まさに「春霞み」です。いえ、俳句の方では、既に「霞み」そのものが春の季語なのです。ですから、「霞み」という一つの季語だけで、うららかで少しアンニュイさが漂う春の景色が、パーッとイメージできるような仕掛けの言葉なのです。

 「霞み」だけではなく、その一つの季語の中に、その言葉の持つ季節感がぎゅっと凝縮されて、読む者誰しもが普遍的な季節感を共有できる。そんな季語が各季節ごとに、数多くあります。

 私たち日本人の、先人たちの智慧の豊かさ、繊細さ、奥深さが、「季語」一つ取ってもよく分かります。そんな我が国固有の「民族的叡知」「無形の文化遺産」を、今の若い人たちにはしっかり受け継いでいただきたいな、そう心から願います。
 「ギャル語」はギャル語で、痛快で面白くて、それはそれでいいけれども…。
 (大場光太郎・記)

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コメント

 本記事はブログ開設(2008年4月29日)間もない5月8日公開でしたが、今回トップ面に再掲載します。当時は政治記事などはまったく眼中になく、このような地味な記事を訪問者数人くらいの中、ひたむきに作っていました。なおこの記事はココログブログ「身辺雑記」のお仲間だった、女流作家(40代後半にして主婦からデビュー作『辞めない理由』で作家に転身)の碧野圭(あおの・けい)さんに気に入っていただき、3年ほど、この記事からほぼ毎日のようにご訪問いただいたことも、今は懐かしい思い出です。

投稿: 時遊人 | 2015年5月 2日 (土) 12時59分

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