« コスモスの種 | トップページ | 黒揚羽(アゲハ) »

東海大学湘南キャンパス近辺今昔(2)

 たいがいの学生は駅の方に向かうようです。大学前のその信号は、T字路ですが、私が今停車している道の向う側に細い道があり、そこからくねくねと山坂を下って行くと近道なので、多くの学生はぞろぞろそちらに向かって歩いていきます。
 あるいは私が右折しようとしている県道の歩道を歩いて駅に向かう者も、2、3割くらいはいるようです。その他多分下宿が近いのでしょう、オートバイや自転車でめいめいの方向に去っていく者もいます。服装がバラバラなら、その行動パターンも千差万別です。
 そんな彼らの行き交いを眺めながら、遠い昔のことが思い出されました。
                      
                        *
 私は昭和43年3月郷里の高校を卒業して、厚木市内の小さな測量事務所に就職致しました。
 それから何ヶ月かしたある日、私がこれから向かおうとしている東海大学前駅(当時は確か「大根(おおね)駅」という呼称でしたが)の一本の通りに接した広大な田んぼの測量に、一スタッフとしてかり出されました。今でこそ駅の大通りは両側に各商店や会社などが建ち並び、その裏にも住宅がびっしりですが、その頃は大根駅の周辺にわずか何軒かの店舗があるのみ、後は見渡す限りの田んぼが広がっていたのです。
 いわばこの駅周辺の今日の発展のささやかな一翼を、当時勤めていた測量会社も担っていたわけです。
 
 とにかく私は仕方なく上京し、この仕事に就いているという想いが心のどこかにあり、何事にも身が入らず、よって会社としては使いづらい、いやおよそ使い物にならない若者だったと思います。
 当日は先輩の運転で会社を朝早く出て、9時前には現地での作業にかかりました。私は『アーァ。またきょうもツマンナイ仕事が始まるのか』という乗り気でない態度で、先輩の指示に従って、使いっ走りの補助者として現場を走り回っていました。
 すると、一電車が着いたのでしょう。そのうち駅の方向から、学生たちがぞろぞろぞろぞろこの道を通ってやってきました。今の東海大生と同じで、当時も思い思いの服装でした。その学生たちの数たるや、あきれかえるほどおびただしいのです。実際道から少し入った田んぼの中で見ていると、本当にいつ果てるとも知れない学生たちの大行列です。

 私は彼らを見るともなしに見ながら、あらぬもの想いにふけっておりました。
 彼らは、私と同じ年か2つか3つ年上のはずです。そんな彼らがああやって、身も軽やかそうに大学に向かって歩いている。勿論彼らとて人知れぬ悩みの一つや二つはあったことでしょう。しかしその時の私にはそんなことを考えるゆとりなどなく、彼らはただただ青春を謳歌している、そんなふうにしか見えなかったのです。
 『なのにこのオレは』。こうして田んぼだとか山だとか、普段ならおよそ人気(ひとけ)の
ない所を走り回っている。時には社長や先輩たちに怒鳴られ、夜人知れず悔し涙を流すこともある…。
 
 余りにも歴然たる彼我の差。私はその時改めて、今自分が置かれている身の境遇にいくばくかの悲哀を感じたのでした。                  (以下次回につづく)
 (大場光太郎・記)
 

 

|

« コスモスの種 | トップページ | 黒揚羽(アゲハ) »

雑記」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。