都会の片隅のあざみ花(2)
あざみの花が咲いているそもそもの街路樹は、根回り10㎝にも満たないほどのいちょうの幼木です。大きくなることを見越して土の部分をやや大きく取り、その中にヒゲのようにピンと伸びた20㎝長くらいの何とか草がびっしり生えている、その一隅にこのあざみの花があるのです。
あざみは見れば見るほど可憐な美しさです。『それにしても、何でこんなとこに咲いてんだ?』。
思うに、あざみのタネが風に運ばれてたまたまここに落ちて、根付いて今こうして花を咲かせているのか。または当該街路樹の植栽を委託された業者が、いちょうの幼木をここに移植した際搬入した土に、たまたまあざみの宿根が残っていたものが育って今花咲かせているのか。おそらくそのいずれかでしょう。
赤紫色の直径3㎝弱ほどの、こぶりな球形の花の盛りなのが4輪ほど、既に咲き終えて萎(しお)れてしまっているのが同じ数ほど、まだ蕾(つぼみ)ながら咲きたくてうずうずしていそうなのが同数かそれ以上。
私はあざみの花を見ていて、つい1ケ月余前「二木紘三のうた物語」の『あざみの歌』に、コメントしたことを思い出しました。この歌は郷里の思い出と密接に結びついた、思い入れの深い歌ですから。そのコメントの冒頭に、
都会にて野あざみの道たどりをり
という拙句を掲げました。私は昭和50年代の何年間か、都内は明治通り沿いにある某会社に在籍しておりました。その当時のことを思い出して、数年前に詠んだものです。当時世の中は上げ潮経済の真っ只中。土木設計関係のその会社に身を置く私も、連日仕事に追いまくられる日々でした。都内のほんの一角のビルの何階かの、担当部署の私にあてがわれた机に夜中までかじりついて。ウンウンうなりながら土木図面を作図したり、構造計算をこねくり回している。
そんな時ふと、郷里(山形)で子供の頃よく遊びまわっていた、山道の道端に咲いていたあざみの花がふっと脳裏に甦ってきた…。これがその句の背景です。
それにしても、まさか横浜の中心部である官庁街の片隅で、あざみの花に出会えるとは! 本当に、つい先ほど見たポスターの文句ではないけれど、
こんなにたくさんの幸せが、
毎日の中にかくれているなんて。 (劇団四季・ ミュージカル「赤毛のアン」ポスター)
私はつかの間ほんわかいい気分になり、日生ビルの玄関自動ドアから中へと入っていきました。
ありがとう。あざみさん!
(大場光太郎・記)
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コメント
あざみの花、そして歌も大好きです。この花の色、何とも
言えない色ですね。紫と言うかピンクと言うか、本当に感傷的
な気分を味わわせてくれる花です。大場様のご覧になったあざみ
ご想像のように、どこからか土と一緒に運ばれてきたのかも
知れませんが、あざみはタンポポのように種が風にのって飛んで
きます。横浜時代、植えた覚えもないのに庭に咲いたあざみの
花に、感激したことがありました。ところがそれがあちらこちら
と毎年咲いてしまって、大変な思いをしたことがありました。
何故って、引き抜く時にとても痛いトゲがあるのです。
やっぱりあざみは、どこかの片隅でふと目に入った姿が、一番
感傷的で美しいのかも? ところであざみは、食用に出来る種類
もあるらしいです。信州方面に出かけたお友達のお土産で
あざみの「つくだ煮」の瓶詰めを頂いたことがありました。
これが暖かいご飯で食べた時の美味しさ、これも感激の一瞬
でした。丹精なさったコスモス、いかがでしょうか。
コスモスは大きく育った時、風に弱くて倒されやすいので、
がっかりした経験があります。先日お知らせ致しました鴨川への
山の中の途中で、秋になると「コスモス祭り」が開かれます。
広大な場所に咲いているコスモス、沢山の人が訪れます。
寂しさを感じるこの花の姿も、こんなに広々した場所に咲いて
いると、生きていることの喜びに変ります。
植えた記憶もないのに、今アマリリスが一本、蕾をつけて、もう
すぐ姿を見せてくれるところ、これも不思議な自然です。
雨の一日、私も大場様のように、感性豊かな目を持って、自然を
眺めながら過ごしたい、と願う毎日です。
投稿: れいこ | 2008年6月 3日 (火) 07時26分
れいこ 様
この度はまたコメントたまわり、まことにありがとうございました。
御文中で「このあざみがどうしてそこに咲いているか?」につきましての、ご経験に基づかれてのご見解、まことにその通りかも知れません。私も『どうしてかな?』と考えました時、真っ先にそのことを思いました。しかし『そんな偶然のようなことが、起こるかなあ』と思い直し、「宿根説」を採った次第です。
でも確かにご指摘の通り、「風媒説」の方が可能性が高いのかな?と、改めて思います。そこで当記事は、両方の説を併記するように当該箇所を改めさせていただきました。
「あざみにはトゲがある」。おっしゃる通りです。私も子供の頃、少し痛い思いをしたことがあります。そしてバラの花にも。花だけではなく、「とびきりの美人」にも。私のような者は、あまり近づかない方が…という経験を過去に何度かしております。(これは余談でした。)
なおこの天候で、コスモスの種はまだ芽をだしておりません。楽しみにはしているのですが…。
れいこ様の御文、いよいよ冴え渡ってきたように、私には感受されます。体力、気力、知力。どれをとりましても、まだ十分におありかと、嬉しくも推察申し上げます。
繰り返しになりますが。梅雨入り致しましたおりから、れいこ様には、お体大切にご健勝でお過ごしくださいませ。
投稿: 大場光太郎 | 2008年6月 3日 (火) 17時42分