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聖フランチェスコの祈り

  私をあなたの平和の道具としてお使いください
  憎しみのあるところには愛を
  諍(いさか)いのあるところには赦しを
  分裂のあるところには一致を
  疑いのあるところには信仰を
  誤りのあるところには真理を
  絶望のあるところには希望を
  闇のあるところには光を
  悲しみのあるところには喜びを
  もたらす者としてください

  慰められるよりは慰めることを
  理解されるよりは理解することを
  愛されるよりは愛することを
  私が求めますように

  私たちは与えることにより与えられ
  赦(ゆる)すことによって赦され
  自分を捨てて死ぬことによって
  永遠の命にあずかるのですから

   

            *     *     *     *     *     *

 (私の所感)
 聖フランチェスコ(1181年or1182年~1226年)は、西欧中世時代のイタリア・アッシジの人で、キリスト教最大の聖人の一人といわれ、生涯清貧に徹しイエス・キリストに最も近づいた人とも讃えられる人物です。

 ある日野外で説教をしていた時、木々の梢で小鳥たちがかまびすしくさえずっていて、フランチェスコの話し声がよく聞こえないほどでした。そこで同聖人は、「兄弟小鳥たちよ。あなたがたも一緒に神の福音を聞きなさい」と呼びかけたところ、小鳥たちはピタッとさえずりを止めてその説教に聞き入っていたという話。あるいは、アッシジの町に飢えて凶暴化した狼が日夜出没しては、人に危害を加えるので街の人々は恐れおののいていた。それを知った同聖人は、ある日彼の前に姿を現した狼にやさしく諭したところ、狼はスッカリおとなしくなり、その後は町の人たちが用意しておいた餌を食べては、静かに町を去っていくようになったという話。

 これらのエピソードが、事実だったかどうかは別として、聖フランチェスコはキリスト教徒らしからぬ、豊かなアニミズム的感性(自然との交感能力)の持ち主だったことがうかがわれ、私にはそれが同聖人を敬愛する一つの要因でもあります。

 この祈りは、フランチェスコ自身が作ったものではありません。この祈りの初出は、1912年パリに本部のあるキリスト教のさる会派の機関誌で、作ったのはその会派の指導者であった神父さんだったようです。
 にも関わらずこの祈りは、聖フランチェスコの精神を最もよく表している祈りとされ、第一次世界大戦後徐々にヨーロッパに広まり、特に第二次世界大戦後はキリスト教の垣根を越えて、全世界に「聖フランチェスコの平和の祈り」として広く知られることとなりました。
 これは「祈り」であり、厳密には「詩」にはあたらないか知れません。しかしよく味わってみますと、詩としての鑑賞にも十分堪えるものであると判断し、今回取り上げました。

 今の日本社会、日々の新聞、テレビなどのニュース報道に待つまでもなく、まさに「憎しみ」「諍い」「分裂」「疑い」「誤り」「絶望」「闇」「悲しみ」…の極みにあるのではないだろうかと思わせられる出来事が、社会の各分野で日々起きております。『このままいったら、世の中は、この日本は、人類は…』。心ある人なら誰でもそう思うでしょう。
 そこでこの祈りです。憎しみを「愛」に、諍いを「赦し」に、分裂を「一致」に、疑いを「信仰」に、誤りを「真理」に、絶望を「希望」に、闇を「光」に、悲しみを「喜び」に、変えていかなければなりません。誰が変えていくのでしょう?あの人ですか?どうせ誰かがですか?いいえ。「先ず隗(かい)より始めよ」。この祈りを知ってしまった私たちからです。

 「百匹目の猿」(話せば長くなりますので、これについてはまた改めて)の話、既にご存知の方もおいてでしょう。ある一定数に達しますと、「良いこと」は確実に時間や空間を超えて広く伝播していくのです。
 ネガティブな出来事も多い反面、世界中でいかなる組織にもよらない「心から心へのネットワーク」による「サイレント・ムーブメント(静かなる変革)」も、今確実に進行中なのです。
 (大場光太郎・記)
  
  

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コメント

 政治的迷走から日常茶飯事的に頻発する異常事件まで。世の中ますます大混迷の度を深くしている感があります。「社会の木鐸」であるべきメディアですらもが、虚偽、歪曲の“トンデモ言説”を日々垂れ流し、多くの国民を誤導しています。
 悪世が極まったかかる世の中にあって、正気を保ち、日々生起する物事に対して正常な判断を下すことが極めて難しくなっているのです。
 そんな中、私たちの行動規範の一つとして、この「聖フランチェスコの祈り」は有益なのではないでしょうか。日々の出来事のすべてについて、この祈りのとおりに出来れば何の問題もありません。無用な混乱やトラブルは、身辺から一切消えてなくなることでしょう。
 この祈りの要求水準は極めて高いものがあります。私自身、この祈りのとおりの行動を貫き通すことなど、とても出来はしません。いや、この祈りに反する振る舞いをしていることの方が多いように思われます。
 最近『続々・2012年12月22日』などで、「地球全体が5次元を目指している」と述べました。まさにこの祈りが指し示しているものこそ、「5次元意識状態」と言えると思います。「3次元意識状態」にあまりにもなじんできた私たちにとって、難しいのは当たり前なのです。しかし内容をしっかり自分のものとして、何度でもトライしてみる価値、いな必要性がありそうです。

投稿: 時遊人 | 2010年12月28日 (火) 02時34分

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