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梅雨晴れ間(2)

    高峰を空に持ち上ぐ入道雲   (拙句) 

久しぶりにスッキリと晴れ上がった良い天気の一日でした。
 ほぼ快晴。日はギラギラまぶしく強い日差し。それに比して、日陰はくっきりと濃い陰をつくり。日向と日陰とのこの際立ったコントラストこそは、「夏の日」であることの動かぬ証拠です。
 そのうえかの大山の秀峰の上には、むくむくと入道雲も立ち上り、「我こそは夏の雲なり」と言わんばかり。

 前に『水田そして田植え』で述べました道を、本日また車で通りました。あの頃は植えたてでか細かった早苗も、今では遠くからくだんの田んぼを眺めると、さながら水田一面が青田のように見えるまでに立派に育っておりました。

 さらに。本日昼過ぎ、また例の水路道を通りました。そうしましたら、何と! きのうお伝えしました『小さき花』、きょうまた何くわぬ気に咲いておりました。『あれっ!?』。私はあっけにとられて、『さてはオヌシだましたな!』。
 いえいえ。あれは(まるでもう咲き終わったかのように、しおれたさまは)、か弱き花が生き延びていくための必要な手段だったのです。思いかえせば、きのう通った時は小降りながら雨が降り続いていました。そんな雨でも、あんなに小さな花では開き放しではとても耐えられない。それで一時雨から身を守るためのやむを得ぬ自衛手段だったというわけです。外敵から身を守るために一時的に「死んだふり」をするのは、昆虫の世界でもよく見られることです。それと同じような防衛メカニズムだったと思われます。
 ともあれ。通るたびにまた、この可憐な小さき花を見られるわけで、私にとっては「嬉しいだまされ」です。
 (大場光太郎・記)

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