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「花泥棒」も罪なの?

    夏風や花泥棒に罪非(あら)じ    (拙句)

 私は現居住地に、今から十三年ほど前に越してきました。
 その頃は、居住地に接した道路はまだ未舗装の、車一台やっと通れるほどの農道で、反対側は田んぼでした。それがその後二、三年するうち、道路は対向車がすれ違い出来るくらいの幅に拡幅して舗装され、つられてその田んぼも盛り土され、近所の人たちへのレンタル農園に変わりました。

 今でもそうですが、その農園は何区画かに分けられ、めいめい野菜を育てたり季節の花物を植えて楽しんでいるようです。
 レンタル農園に変わって間もなくの、ちょうど今頃の季節。私は近くのバス停に向かうべく、舗装なった道を歩きました。季節がら、青々と繁った野菜や花々を眺めながら。すると一番端の区画の畑の道沿いに、何やら小さなカードが掲げられています。私は『何だろう?』と思って寄ってみました。カードには書き物がしてあります。読んでみました。

    花を取らないでください
          しかも三個も

縦書きで、確かそんな内容の文面でした。

 私はそれを読みながら、
 『何と了見の狭い。いいじゃないの。花の二本や三本、盗(と)っていかれたからって。昔から言うじゃないの。「花泥棒は罪にならない」って』。
 そう思いながら、見るとそのカードには余白があります。そこで私は少し皮肉を込めて、その日のようすからとっさに思いついた、冒頭の句をその余白にマジックで書いてやりたい衝動にかられました。かといって、マジックは手元にないし。家に戻るのも面倒だし…。結局そのままやり過ごして、歩き去りましたけれども。

 「花泥棒に罪はない」という、昔からの言い伝え(あるいはそう伝え聞いているのは私だけかな?)は、他人の苑(その)の花であるのに、美しい花に見惚(みと)れるあまりついつい何本か手折(たお)って持っていってしまった。しかしそれは花を愛(め)でる風流心の発露であって、決してその罪を咎めるべきではない、ということだったのでしょう。

 しかし勿論今日の「法治国家」たる我が国では、当然「花泥棒」とて立派な犯罪です。何の罪?刑法第235条の「窃盗罪」です。もしこの条文を犯せば、「10年以下の懲役または50万円以下の罰金」に処せられます。おお、恐(こわ)っ !
 昔ある人が言っていたことを思い出します。「六法全書には、「愛」という文字がどこにも無い」。当然のことながら、「風流心」もどこにも無いわけです。

 (大場光太郎・記)

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雑記」カテゴリの記事

コメント

 当記事はちょうど1年くらい前に作成したものです。ここに来て、当記事への検索アクセスが少し増えてきました。主なものは「花泥棒 罪」「花泥棒 罪はない」と両極端です。
 本文からも読み取れるかと思いますが、私は本音では「罪はない派」です。しかし仮にも「法律家のはしくれ」としてメシを食っている以上、建前上は「罪になる派」にならざるを得ません。
 これをお読みの方の多くは、そうではなくもっと自由に本音を出せるお立場だと思います。さて「罪はない」「罪になる」いずれでしょうか?

投稿: 大場光太郎 | 2009年6月19日 (金) 00時59分

私の母は外にある植木鉢に植えた花を大事に可愛がっていました。しかし一晩のうちに花は根こそぎ盗まれていました。母の落胆ぶりは大変すごく、わたしも悲しかったです。盗む人には良心はないのでしょうか。
あなたも多角的な見識を持ったほうがよろしいですよ。あなたにがっかりです…。やはり実際に盗まれてみないとわからないのでしょうね…。

投稿: ゆき | 2009年8月12日 (水) 03時55分

 ゆきさま。鉢植えの花物を盗むのは、論外です。これは完全な窃盗ですから。お母様のご落胆お察し申し上げます。
 ただ私が本文で述べたのは、外の花畑などでいっぱい咲いている花々のうちの2、3本を手折る行為についてでした。それとてももちろん、罪といわれれば罪なのですが…。
 本当の宇宙法則にあっては、「自分のものは何もない」。なのに今日の社会システムにあっては、「所有」が厳密に問題視されすぎるきらいがあるように思います。我が国で「自己所有」という思想が本格導入されたのは、西洋の法体系にならった、明治以降のことなのです。それによって我が国は、社会の隅々まで法が支配する「法治国家」になりました。
 しかし現代ではどうでしょう。仮にも法律家のはしくれの私ですら、一度も読んだことのない法律が山ほどあります。我が国は今、行き過ぎたがちがちの規制、コントロール国家になってしまっているのです。それが「八重垣」となって、息苦しい世の中、ぎすぎすした人間関係になっているとはいえないでしょうか。
 だからといって、「花泥棒」を奨励しているものではございません。念のため。

投稿: 大場光太郎 | 2009年8月12日 (水) 13時52分

「花泥棒は罪にならない」は、本来盗られた側が盗んだ人間(勿論捕えて事情を聞き出した上で)の心情を理解した上で赦免してやる時の言い方です。
「法律家」的に言うならば罪の客体側がそうと知覚した場合のみ使える言葉であると思います。
客体側がそう受け止めていない行為については勿論単なる『窃盗行為』であり、それを「花泥棒は罪にならないっていうのに了見狭いね~」と嘲笑する行為は個人の名誉を毀損する行為であるかと思いますがいかがでしょうか。

ちなみに使い慣れない法律用語を無理に振り回して言ってみましたが、
「無断で人のものを持って行かない」
のは人と人との関係で当たり前のことであり、それを『花泥棒は罪にならない』などの謝った言葉の使い方で強弁して反省の念の無い方々に強制的に理解していただくためにある「モノサシ」が法律であると私は理解しています。

投稿: 京 | 2009年12月20日 (日) 12時57分

京様 
 貴重なお説興味深く読ませていただきました。
 気になって「花泥棒」の由来を、少し調べてみました。はっきりとは分かりませんが、どうやら狂言の『花盗人』から来ているようです。
 ある時桜の枝を折って捕まった僧が、桜の枝に縛りつけられたまま、
  この春は花のもとにて縄つきぬ烏帽子桜(えぼしざくら)と人や見るらん
という歌を詠んだとのこと。その歌を聞いた花見の衆が、僧の罪を許して花見の宴に加えたことから、「花盗人は罪にならない」と言われるようになったとか。
 明治期から西洋の近代法が導入される以前の、ましてや現代のように膨大な法律によってガチガチに呪縛されている今日では理解出来ないような、何とも風流なお話ですね。 

投稿: 大場光太郎 | 2009年12月20日 (日) 14時49分

 本記事は(ブログ開設年の)2008年6月7日公開でしたが、今回トップ面に再掲載します。お二人の女性から、「花泥棒、罪に決まってるじゃありませんか」との厳しくコメントをいただきました。なお文中のレンタル農園は、記事公開後2、3年して駐車場に変わり、広い道路に面した部分は東日本大震災の年の前年頃から広々とした某コンビ二になっていて、当時の面影はどこにもありません。第一、この時の住居は私にとって二つ前の住まい。変化変滅めまぐるしい時代です。

投稿: 時遊人 | 2017年7月15日 (土) 03時00分

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