『雨』-哀感ただよう童謡
雨がふります 雨がふる
遊びに行きたし 傘はなし
紅緒(べにお)の木履(かっこ)も 緒が切れた
ご存知の童謡『雨』の一番の歌詞です。
この歌は、北原白秋が詩を『赤い鳥』に発表したのが大正七年。そして広田龍太郎が作曲して発表したのが、大正十年のことです。
北原白秋の「雨の歌」といえば、他に有名な『城ヶ島の雨』があります。こちらはそぼ降る雨に煙る城ヶ島の叙情的な情景を描き、一方この『雨』の方では雨に閉ざされた、昔の日本的な家の中の情景を描いています。
いずれにしても、懐かしい童謡です。「雨がふります 雨がふる」という巧みなリフレインによって、小止みなく降り続く雨の、その雨脚さらにはその一滴一滴さえもが見えてきそうな感じです。そんな雨の中、「遊びに行きたし 傘はなし」なのです。その上「紅緒の木履も 緒が切れた」というのですから。
それなら仕方ありません。雨が止むまで家にこもっているしかないわけです。
この歌は引用しました一番から、五番までの歌詞があります。その中に「千代紙折りましょう 畳みましょう」「お人形寝かせど まだ止まぬ」という歌詞がでてきます。ですから、歌の主人公はまだ幼い女の子でしょう。それもどうやらあまり富裕な家庭の子女ではなさそうです。どちらかというと、やや貧困な家庭の子女といえるかも知れません。そのためなのか広田龍太郎の曲調とあいまって、どことなく哀感が感じられます。
その辺が貧困層が圧倒的に多かった当時の国民に受け入れられ、その後広く愛唱されるに至ったゆえんなのかも知れません。
なおこの歌における「傘」とは、柄も骨の部分も竹で作られ、それに防水処理した油紙を張った、いわゆる「唐傘」別名「番傘」のことでしょう。昭和三十年代前半の私の小学校低学年までは、もっぱらこの和傘でした。しかも履物といえば、この歌の木履に類似した下駄。それがいつしか、傘は現在のような洋傘に、履物もズックなどのビニール製に変わり…。それゆえ『雨』の歌の雰囲気を何となく理解できる、私たちが最後の世代なのかも知れません。
それはそれとして。このような昔の童謡を、最近では学校でもあまり教えなくなっているようです。理由はいろいろあるでしょう。曰く「今の時代に合わないから」「童謡にしては暗い歌だから」云々。それでは「明るい健全な歌」だけ大人がピックアップして子供に与えて、本当に豊かな情操が養われるのだろうか?
私個人としては、大変残念です。願わくば、このような歌、今後とも長く歌いついでいって欲しいものだと思います。
(大場光太郎・記)
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コメント
この記事は1年前の6月中旬頃公開したものです。ちょうど今と同じ梅雨時だったので記事としてまとめたわけです。公開当初から、『名曲』部門では『「赤い靴はいてた女の子の像」実見記』と共に、最もアクセスの多い記事でした。
それが今年の4、5月あたりから急にこの歌へのアクセスが増えだしたのです。「童謡雨」あるいは「雨の歌 童謡」などで、検索フレーズランキングの上位に登場したことも何度かありました。
急にどうしたことなのか?私にも理由はさっぱり分かりません。ただ『雨』そのものが優れた童謡であることは間違いありません。本文でも触れましたが、長く残ってもらいたい童謡です。
ところで6月30日昼過ぎ頃から、すべてのココログブログでログイン出来ないトラブルが発生したもようです。私が気がついたのは夕方でした。何度もログイン試みてダメで結局当日の記事作成は諦めました。(どうやら@niftyの方で、全ブログのログイン画面を切り替え中らしく、それに付随したトラブルと思われますが、詳細は分かりません。)
私が確認したところ、夜11時頃には正常に戻りましたが、さてそれから記事作成のための原案から…。とても間に合いません。よってその埋め合わせとして、この記事をトップにもってくることにしたものです。
投稿: 大場光太郎 | 2009年7月 1日 (水) 00時57分