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小(ち)さき花

   道の辺(べ)につましく咲ける小(ち)さき花
   花の白きに神顕(あらわ)れぬ           (拙歌)

 いつも通る水路道に、つい先日そこの土の部分に雑草に紛れて、淡赤色の小さな花が咲いていました。
 もちろん花の名前など知る由もありません。石川啄木流に表現すれば、「…赤き花咲き今も名知らず」。とにかく超がつくほど、小さい花なのです。通りすがりにチラッと見たところ、直径一センチにも満たないほどの儚(はかな)さです。四つほどの花弁をもち、多分同じ株からなのでしょう、数輪ほどが咲いています。

 そのさまは、実に可憐でもあり、そよ吹く風にさえゆらゆら揺れそうなさまは、何か痛々しさすら感じます。『守ってあげたい』。思わずそんな気持ちにさせられる花ではありました。
 そうやって何日かその小さき花は、その短い花の命を必死で生きていたのでしょう。きょうそこを通って『あの花は?』と見てみましたら、花はすっかり細く小さく萎れてしまっていました。

 しかしこのようなおよそ名もないごく小さい花を、か弱いもの儚いものと観るのは人間なのであって、花自身は決してそう感じてはいないのかも知れません。(ある測定方法によって、植物にも立派に感情があることが解っています)。そもそも「小さい」という「大小の尺度」あるいは「短い期間」という「時間の尺度」はあくまでも人間の尺度。花には花の全く別な尺度があるのかも知れませんし。
 その尺度では、ちょうどほどよい花の大きさなのであり、またたとえ何日間かであってもその間花は、私たち人間の一生に匹敵するほどの時間感覚を味わっているのかも知れない…。

 それはともかく。冒頭の拙歌―和歌というよりは道歌(どうか、みちうた)―は、十余年前近くのある市近郊の細道を車で走っていて、道端にこの花よりは大きいながらそれでも小さい白い草花が咲いていた。そのさまを詠んだものです。
 なおこの歌の「神」は、ある特定の宗教上の神を想定したものではありません。あえて申せば、このような道の辺の小さき花をも「かくあらしめている」、その奥のまた奥の…原型的実体、究極的実在への尊称的意味合いです。
 (大場光太郎・記)

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