山のあなた(2)
カール・ブッセ
山のあなたの空遠く
「幸い」住むと人のいう。
ああ、われひとと尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かえりきぬ。
山のあなたになお遠く
「幸い」住むと人のいう。
(上田敏訳)
…… * …… * …… * …… * ……
カール・ブッセ(1872-1918)は、ドイツの新ロマン派(その代表的詩人はリルケ)の詩人です。ブッセは母国ではさほど有名ではなく、上田敏(1874-1916)のこの名訳詩により、遠い我が国で有名になりました。この詩は、明治三十七年刊の訳詩集『海潮音』の中の一篇として収められました。
「詩の読み方」に「かくあらねばならない」というのは、何もないと思います。たまにある詩集をパラパラとめくって、その中の一詩を拾い読みするもよし。あの時の私のように、詩の情景をイメージしてうっとりするもよし。うんと深読みするもよし…。どうやらとうの昔に「頂上体験」という恩寵を失ってしまった私は、その分「詩」に余計な意味を探ろうとしてしまいます。
*
この詩における「山」とは実際の山というよりは、ブッセの心象に描かれた山だと思われます。詩人の心の中で「理想」と仮託されている山。その「山のあなた(彼方)」の空遠くには、「幸せ住む理想郷」があると人々が言い伝えているという山。
「山のあなた」は西欧キリスト教社会では、「天(ヘブン)」と言っていいのかもしれません。しかし人はかの天に直行するすべを持ちません。そこで人は、山のあなたの空遠くのちょうど真下辺りの未知の地を、「天に行われるとおり、地にも行われますように」という「主の祈り」にみられるような、「天の映しの地」に擬制するわけです。
しかしかの地をいざ尋ねてみると。理想郷は行けども行けども見つからず。それはまるで虹か蜃気楼のように、先へ先へと逃げていくばかり。こうして尋ね歩く旅は虚しく終わり、「涙さしぐみ、かえりきぬ」ということになるわけです。
(それはあるいは、時あたかもヨーロッパ中に吹き荒れていた「産業革命」などにより失ってしまった、「大切な何か」を取り戻す旅であったのかも知れない…。)
それでも人間というものは。なおも懲りずに止むことなく、山のあなたの理想郷を求め続ける…。
(大場光太郎・記)
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