ある母娘
「夏の夕べの寸景」の母娘とは、バスでも途中まで一緒でした。
私は後部座席、その母娘は前の横長のお年寄りシートで親子並んで。あまり乗客もなく、見るともなしに見ていると、女の子は車中でもしきりに母親に甘え、母親の方もそれをうるさがらずに。バス待ちの時とまったく同じです。
この親子。見ていてほほえましくなります。思うに、この若いお母さん、ダンナさんともとてもうまくいっていて、仲睦まじく、夫婦円満なのでは?と推察されます。
時に、同じバスの車中では。同じ母娘連れながら、母親が娘の所作にいちいち厳しい叱責の言葉を浴びせかけ、時に「そんなこと止めなさい。何で分かんないの。」と言って、膝の辺りをピシャとたたいたりしているのを目撃することがあります。
それでも娘の方は、例えどんなに怒られようがたたかれようが、頼るのは母親しかないわけで、「ママー。ママー」。私は『可哀想になあ。もう少しやさしくしてやれないのかなあ』と思いながら見ていました。そして同時に『おいおい、アンタ。ダンナさんとうまくいってんの?』とも。
ある人がいみじくも言っておりました。「家庭は平和な世界の基本単位である」と。またある人は、「男は愛すべき妻や子の待つ家庭を持ち、それに一心に打ち込める仕事があれば、後は他のものを高望みすべきではない」という意味のことを言っていました。
確かに、そうだと思いますよね。この私の「今回の人生」は、そのうち特に「幸せな家庭」を得られる人生コースに、プログラミングされていなかったもので。それは身に沁みて、強く感じます。
例の母娘は、私より二つ手前のバス停で降りました。私はその母娘の後姿に、『これからもずっと仲良く、幸せにね!』と、心の中でエールを送ってやりました。
(大場光太郎・記)
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コメント
こんにちは
母子の姿はいいものですね。幼子の所作はいかなる場所でも心和むものがあります。
母子をテーマにした絵画も多く、多くの画家がモチーフにしていますね
じつは私も・・・^^ゞ難しいですが頑張っています。
私が旅先で印象に残った母子の姿を
大場様の記事で思い出しましたので後で記事にしてみますね。
投稿: おキヨ | 2008年7月 4日 (金) 10時58分
おキヨ様。こんにちは。
幼い子供達は、本当に天使的存在です。いえ、天使そのものといっていいと思います。新しい「親子の姿」記事、楽しみにお待ちしています。
今家庭内での痛ましい事件が、さまざま起きています。家庭とは何か、親子とは何か、夫婦とは何か。今こそ、根源的なところから見つめなおすべき時なのかもしれません。
投稿: 大場光太郎 | 2008年7月 4日 (金) 12時35分