日傘など
正真正銘の夏の一日でした。炎帝の威光をおそれて中空には雲ひとつなく、四辺の低い空にわずかに白雲がうずくまるのみ。よって中天高く太陽は、熱い日差しをこの地上に容赦なく浴びせています。
街のようすもどことなく、白日に漂白されたかのように何となく白っぽく見え。そう、これこそは私が感じる「真夏の感覚」です。本日は梅雨晴れ間どころか、夏の日そのものといってもよさそうな一日でした。
そんな中、六月の主役の花だったアジサイは、遠目に見てさえ明らかに腐(くた)れぎみ。こんなところにも、無常な(「無情」ではありません)時の移ろいを感じます。
こんな日は、街のあちこちでずいぶん日傘を見かけます。動いているのは、日傘なのか人なのか?一瞬白昼の錯覚に襲われます。
日傘の色はとりどりながら、やはり黒日傘が圧倒的に多いようです。確か黒は光熱を吸収しやすい色、むしろ涼を求める日傘なら、白い色の方が反射してくれてよさそうなものを。それが昔から日傘は黒と相場が決まっているものなのか、白などの軽い色のものは少ないようです。(白色系は日に変色しやすい、ということもあるのでしょうか?)
日傘を差している人は、やはり年配のご婦人が圧倒的です。若い女性で差している人は、たまに見かけるだけ。さすがに男性は皆無です。
当今の10代、20代の女性の肌のきめの細やかさ、そのすべらかさは驚異的です。日傘などで保護せずとも、少々はちゃめちゃなことをしようが、短時日ではその美肌が崩れることはないという自信の表れなのでしょうか。それに一般的な男どもはそもそも、美肌などということにあまり気を使いませんから。
太陽の直射日光を浴びるのは、近年のオゾン層破壊による地表に降り注ぐ紫外線量の増大で、発がんの可能性があり危険である。このような喧伝がさかんです。しかしこれは、元はといえば「天に唾した行為」が人類全体に今そのまま還ってきているだけ。だから素直に受け取ればよさそうなものを、受け取り拒否して逃げ回っているだけなわけで…。
私見を申せば―。現代人は屋内で過ごすことが多くなり、「日光を浴びる」ことが極端に少ない人種であるように思います。確かに日傘は、江戸時代の「日唐傘(ひからかさ)」あたりから庶民化されたもののようです。それゆえ我が国の古くからの風物詩には違いないけれども…。
折角たまに外に出たからには、お日さまの御光りを恐れず怯まず。むしろ真夏の日盛りに我が全身を丸ごとさらして、大路を闊歩して行きたいものです。
(大場光太郎・記)
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