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「現し世」考

    この世とは子の世仮の世映しの世
    コの世の本源(もと)はアの世なりけり   (拙歌)

 以前私は、当ブログでは政治ネタ、時事ネタ、芸能ネタなどは、原則扱わない旨表明致しました。しかしこれは考えてみれば、視聴率稼ぎならぬ「訪問者獲得」のための最もおいしい部分をみすみす捨てます、と言っているようなものです。
 それでも私のポリシーとして、よほど私自身が心を動かされる出来事でもない限り、今後ともその方針は堅持していきたいと思います。

 それら日々に生起している出来事は、例えいかに深刻な事態に見えようとも、しょせんは「消えていく事象」の一コマに過ぎないのです。それが証拠に、皆様一年前いや半年前の何か重大な出来事を、今すぐパッと思い浮かべることができますでしょうか?

 皆様も古来我が国では、この世を「現(うつ)し世」と言い習わしていることをご存知でしょう。では、その本来の意味、お分かりになります?
 「現し世」とは、または「映し世」。つまりただ映っているだけの世界、現代用語で表現すれば「三次元立体映画世界」ということなのです。更に申せば、この手触りのある実体があるように感受されている「現実世界」そのものが、実は「バーチャル・リアリティ(仮想現実)の世界」に他ならないということです。(各宗教の宗祖クラスは皆、そのことを悟得しておりました。)

 スクリーンに映画が映っているような世界であるならば、当然このように映している「本源の世界」が先ずあるはずです。勿論です。ただしダイレクトではなく、本源世界から幾つものプロセス(世界)を経て、この現象世界が映し出されていますから、かなりの歪みが生じてきます。
 今は訳あって、その「歪み」を正していくプロセスの真っ最中なのです。したがって、自然災害、政治的・経済的混迷、通り魔殺人…ネガティヴとも思われる出来事が各分野、各方面、各地で立て続けに起きているわけなのです。(「良し悪し」の問題ではなく、ただ必然的に起きているだけ。)

 このような本質的把握なしに、日々生起する出来事をただ追いかけ回すのみなら、かえってそれは受け手の不安動揺、恐怖心を招くだけなのでは?と私は考えます。なお、テレビなどのニュース番組、報道番組も、しょせんその域を出るものではないと思います。
 よってこの私は、新聞購読も止めていると共に、テレビからの変な「マインドコントロール」を避けるために、ニュース番組等も必要最小限しか見ないことにしております。
 
 (追記) 当ブログは、「秘教的(エソテリックな)領域」にもあまり踏み込まない方針ですが、今回は少し(いやだいぶ)踏み込んでしまいました。なにとぞ、ご寛恕たまわりたいと存じます。
 (大場光太郎・記)

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所感」カテゴリの記事

コメント

御歌、素晴らしいと思います。この世とは仮の世、映しの世でしょう。諸行無情、万物は流転す・・・ですね。この文章に非常に宗教的なものを感じました。
私は決して宗教人ではありませんが、宗教(信仰)の尊さをいつも感じています。結局、人間は最後に宗教的にならざるを得ないし、またそうなるべきものと思っています。
毎日の出来事、現象などは通り過ぎていくだけです。私は「全ては必然」だと思っていますので、そう考えている限り“救われる”気持になります。(正直言って、私は汎神論者です)
現実に、大勢の苦しんでいる人が宗教によって救われています。そうでなければ、自殺や他殺はもっともっと増えるでしょう。
私はこれまでの職歴・習性から、世の中の動きや出来事に敏感で、あれやこれやとうるさく騒いでいますが、実はそれは“空しい”ものです。生きている人間(社会人)だからものを言っているだけで、そんなものは全て消え去って行きます。
そして、最後に残るものが「真理」なのでしょうが、真理をどのように悟得するかは人さまざまでしょう。
大場さんの素晴らしい文章を読んで、つい宗教的なことを述べてしまいました。忘れかけていた「大切なもの」を呼び覚まされたようで、清々しい気持でいます。
長くなりますので、これにて失礼します。矢嶋武弘

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年7月11日 (金) 13時16分

大場様
きょう、貴兄の文章を読んで大いに啓発され、小生のブログに以下の一文を載せました。
貴兄の当ブログを紹介させてもらいましたので、ご一読願えれば幸いに存じます。

http://blogs.yahoo.co.jp/yajimatakehiro2007/23032822.html

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年7月11日 (金) 15時28分

 矢嶋様。当記事へのコメント、大変ありがとうございます。また畏兄より過分なるお褒めにあずかり、恐縮に存じます。
 私は確かに、普通の人よりは「宗教的な人間」なのだろうと、自分でもそう思います。これは私の、例えばインドのカースト制でいえば「最下層賤民・シュードラ」にも位置するような生い立ちが多分に影響していると思います。
 うんと小さい時から、『人は死ぬとどうなるんだろう?』などというようなことを、ふっと考えてしまう(というよりは、考え込んでしまう)、少し変わった子供でした。「極端な貧」というものは、子供にもそんなことを考えさせてしまうもののようです。
 正直に告白します。当記事は、矢嶋様のブログを大いに意識しつつまとめたものです。しかし矢嶋様は矢嶋様の、時事問題などについての鋭いシャープな切り口が魅力です。私にはとても真似できません。お互いがお互いの持ち味で。今後とも刺激し合いながら、発展していければと思います。
 ただ矢嶋ブログは、当ブログなど問題にならないほど影響力の大きなブログです。それらの問題を扱うにあたりましては、高所大所からの「解決の視点」をどこかに入れていただければありがたく思います。
 末尾ながら、貴ブログで当記事をお取り上げくださり、重ねて恐縮に存じます。じっくり拝読させていただき、私の方こそかえって大いに刺激を与えられました。こういうところに、早稲田大学ご出身の畏兄の、およそ人生万般を扱える懐の深さ、自由な気風といったものを感じます。
 なお、これをもちまして御礼とさせていただき、貴記事へのコメントは致しませんので、あしからずご了承ください。

投稿: 大場光太郎 | 2008年7月11日 (金) 20時00分

大場様、 矢嶋様お二方の素晴らしい記事を拝見いたしました。ブログにてこのような深い内容の記事におめにかかるとは思っても居ませんでした。お二方の説得力のある文章にはただただ敬服するのみです。
内容もさることながら 文章力の手堅さに、数年、十数年年上であるはずの私のなんとだらしのないことか。今までの生き方の問題でしょうか。ちなみに、私ミッションスクールに中学から高校まで6年間在校、お二方の記事と同様のことをずいぶん勉強した記憶がありますが、根っからの凡人ゆえ胸に浸透することはきわめて薄かったと恥じ入っています。

矢嶋様のブログには同様のコメントになりますのいたしませんでした。矢嶋様にはこの場で失礼いたします。

投稿: おキヨ | 2008年7月12日 (土) 12時03分

おキヨ様
心温まるコメント、ありがとうございます。
大場さん、二木さんのサイトでいつもご意見などを拝読しています。
私どもより先輩にあたるおキヨ様に、いろいろご指摘を受けることは大変な励みとなります。どうぞ今後も、気が付かれたことなどをご指導ください。
ようやく真夏の暑さになってきましたが、ご自愛のほどお祈りいたします。
取り急ぎ、御礼にて失礼します。矢嶋武弘

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年7月12日 (土) 14時04分

 おキヨ様。大変ありがとうございます。
 ミッションスクールのご出身ならご存知かも知れませんが。イエスに、「真理は汝を自由ならしめん」という言葉があります。思いみますれば、私たちにしばし与えられたこの「現し世の旅」の本当の目的とは、その滞在期間中に、いかに「真理」に少しでも近づき体現することができるかということが、隠された「真のテーマ」なのだろうと思います。
 「真理」を何も知らなければ、この世での日々の生活はおろか、あちらの世界に行っても自縄自縛状態が続くのだろうと考えられます。そして真理を悟った程度において、その束縛から少しずつ解放され、自由自在になってより「高い生命のステージ」へと進化していく―どうやら、これが「宇宙の仕組み」のようです。
 さてそのアプローチの仕方は、矢嶋様おっしゃるとおり人さまざまです。ある人はズバリ宗教的な道から、ある人は芸術的、科学的探究から、ある人は文学的探求を通して、またある人たちは日々の経済的活動に従事しながら…。「魂の履歴」は各人すべて異なります。よって「この道以外に道はない」などと、決して言えるものではありません。
 その気になれば、日常的なごくありふれた事象からも「ハッ!」とした気づきがいくらでも得られるのだと思います。そのような気づきの瞬間は、一つの立派な「悟り」とも言えるものです。史上名高い霊的巨人ならざる私たちは、そういう日々の「小さな悟り」を積み重ねていくことこそが大切なのだと思います。
 なお、当記事本文では省きましたが―。この世が「仮想現実世界」だからといって、手を抜いたいい加減な生き方をしていい、ということでは決してありません。深刻に思い悩むのは、勿論いけない。と共に、ふざけてチャランポランに生きてもなおいけない。「真剣に騙されて、真剣に遊ぶ」。この姿勢が必要なようです。「遊びをせんむとや生まれけむ。(梁塵秘抄)」
 末尾ながら、今回の当記事により、矢嶋様、おキヨ様のコメント賜り、久しぶりに有意義な精神活動となりましたこと、大変嬉しく存じます。

投稿: 大場光太郎 | 2008年7月12日 (土) 17時57分

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