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二木紘三のうた物語(4)

 私という存在をご同好の皆様に広く知らしめたい。そのため私は二つのある戦術を用いました。一つはコメントの内容に更に磨きをかけ、誰にも負けないような光ったものにすること。 次には、私という人間と名前を一番効果的に知ってもらうには、折角のコメントをいかに有効なタイミングで出していくかということです。
 とにかく一回出すコメントは、推敲に推敲を重ね練りに練った「一コメント入魂」のつもりで発表しました。そのようにして、読んだ人がハッとするような光ったコメントを一つ出す。しかしそれを間もおかずに連続して出したのでは、前のコメントは後のコメントに打ち消されてしまって、逆効果である。さて、どうするか?

 「最近のコメント欄」で私のコメントが一つ出ている。名前も出ている。他の人が続いてコメントして、一巡して私の名前が同欄から消えるまでは、次のコメントは出したくてもあえて出さない。じっと我慢する。
 そのようにして(当時は)四、五日後に私の名前が、同欄から消える。その頃合を見計らってすかさず、用意してある次のコメントをパッと出す。そうすると結果的に、「コメント欄」には絶えず私の名前が載っているような形になる。しかも十分に間を取っているから、皆様からうるさがられる悪印象も与えないだろう。
 どうでしょう?この戦術は?かなりインパクトがあったのではないかと、今でも自信をもっているのですが。
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 (甚だ僭越ながら)ここで最近の『うた物語』のコメントのあり方に、少しばかり苦言を呈させていただきます。
 私は以来50曲余の歌に対してコメントを重ねてきました。その数においても多分私はトップクラスでしょう。その中には、大成功コメント、大失敗コメント、問題コメント、爆弾コメント…さまざまありました。そして4月末以来一ヵ月半ほどは、ほとんどノーコメントで、その時々にコメントされる方々を外野席から見てもきました。そのような私が、特に感じることがあります。

 ある人は、一度に3つも4つも、ずらっとコメントを並べてくることがあります。また毎日のようにコメントを寄せてくる人もいます。このような流れを作ってしまったそもそもの張本人はこの私かも知れず、その責任を痛感しながら内心忸怩たる思いで見ておりました。
 そのような方に敢えて申し上げれば、私はそれは大変な「下策」だと思います。私なら1、2度はお付き合いで読んでも、それが度重なると、その人が薦める歌は先ず聴きません。コメントなど、なおのこと読みはしません。それらの方がどのような意図でコメントされてくるのか私には分かりませんが、とにかくそのようなあり方は逆効果だと思います。
 その意味でも、ご自身を有効にアピールしたいのなら、当初私が立てた「コメント戦術」を、少しは参考にしていただきたいものだと思います。

 なお私はゆえあって、またコメントを再開致しました。前からのご同好の方々に、私の悪名(?)は広く知られております。今さら改めて、名前を売る必要などありません。よって前のように「一コメント入魂」などと気張らずに、もう少し気楽にゆったり間を空けてコメントしていくつもりです。

 このシリーズずっと続けていくつもりでしたが、どうも切りがないようです。それに当ブログには、『うた物語』とは関係のない方も訪問されます。諸般を勘案致し、中途ながら一応これにて締めとさせていただきます。
 ただ人一倍『うた物語』を愛する者として、今後また述べたいことがありましたら適宜述べさせていただく所存です。なにとぞご了承ください。
 以前『「いちご白書」をもう一度』の中で述べましたとおり、『うた物語』が更に更に「国民的大ブログ」に発展致しますことを祈りつつ。      ― 完 ―
 (大場光太郎・記) 

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