河童考
大天狗小河童何処(いずこ)青山河 (拙句)
間もなく、関東地方も梅雨明けを迎えそうです。そうしますと、雨のイメージの当ブログの「カッパ君」の背景も変えなければなりません。「ココログテンプレート」で各種とりどりのテンプレートが用意されている中から、これを見つけて採用しただけに残念です。来年の六月以降のバックにもまた使うとしても。それまではカッパ君とも、しばしのお別れ、その前に「河童」についての話を取り上げてみようと思います。
河童は、日本の妖怪・伝説上の動物、または未確認動物。標準和名の「かっぱ」は、「かわ(川)」に「わらは(童)」の変化形「わっぱ」が複合した「かわわっぱ」が変化したもの。河太郎(かわたろう)ともいう。ほぼ日本全国で伝承され、その呼び名や形状も各地方によって異なる。類縁種に「せこ」等がいる。
水神、またその依り代(よりしろ)、またはその仮の姿ともいう。鬼、天狗と並んで日本の中で最も有名なものの一つとされる。 (フリー百科事典『ウィキペディア』より)
河童をはじめ、天狗、座敷童子(ざしきわらし)…。これが実際に存在するか否か?これが問題なのではありません。それらの存在が単に伝承中の架空の存在であっても、いっこうにかまわないと私は思います。
ただ深山幽谷まで切り開き、トンネルを掘り道路を建設してきた。あるいは各地の小河川に到るまで、コンクリート護岸など人工的加工を加えてきた。そんな過程を、到るところでイヤというほど目撃してきた。そんな私たちの心の中で、それらの存在を今やさしく受容してあげられるだろうか?結局は、私たち一人一人の「心の問題」だと思います。
当地の近くに、海老名市と綾瀬市の境を流れる某小河川があります。ご多分にもれず近年河川整備が完了し、その一つのコンクリート橋が「河童橋」と命名されました。その橋の欄干の上に、河童の小さな像がちょこんと乗っております。
私はたまに通るたびに、『さすが最近では行政の意識も変わったもんだな。なかなか乙なことをやるじゃないか。』と、感心しながら眺めていきます。
すべて昔からの言い伝え、昔話、民話などのたぐいは、誰しもの心の奥深くにある民族的な郷愁心を揺さぶられるものであります。だからこのテクノロジー最優先のこの時代に、ああして河童の像を掲げることなども、その息苦しさから脱け出したい願望の一つの表れなのかも知れません。
なお冒頭の拙句は、その河童像に触発されて、数年前に詠んだ句です。
とにかく近年、私の想い描く「こうであってほしい青山河」は、私の周囲からどんどん消えつつあります。そんなんだから、イメージとしてさえ、河童も天狗もなかなか現れてきてはくれません。嗚呼 !
(大場光太郎・記)
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