自然回帰
午後3時過ぎ、業務上の用事でお隣りの伊勢原市にまいりました。
乗り込むべく車のドアを開けて中に入った途端、こもっていた熱気がムッと押し寄せてきて閉口しました。さながらサウナ状態です。『今年もこれで、正真正銘の夏本番というわけか』。
スイッチを入れると同時に、クーラーをつけて、しばらくしても熱気は衰えず。汗だくで5分以上経過して246号線に入ったくらいでようやく通常の涼気が徐々に戻ってまいりました。
最近の私は運転しながら、視線はもっぱら無意識的に『どこかに記事の材料は?どこかに自然は?』と探し回ります。記事の材料=自然なのですね。
振り返れば私が子供の頃は、『少年画報』『少年』『冒険王』といった少年雑誌の表紙をめくると、すぐの見開きのページにカラーで真鍋博というイラストレーターの、ファンタジックな近未来都市がよく掲載されていました。私は将来あり得べきその美しい近未来都市の絵に、ワクワクしながら見入ったものでした。
その近未来都市には、自然はどこにもない。木立も草花も、およそ自然に属するものは完璧に排除されている、完全人工都市。山形の草深い田舎町の純な少年は、『これが未来のホントの姿なんだな』と、真っ正直に信じておりました。
その記憶が心のどこかにあったのか。私は青年期、とにかく首都圏にやって来てしまったわけですし。その頃もし「さあ都会か自然か。どっちを選ぶ?」と二者択一を迫られれば、何の躊躇もなく「都会!」と答えたと思います。
それがいつの頃から、急に自然の方に視点を変え出したものなのでしょう?多分30代前半の頃だったと思います。昭和57年頃から「精神世界ブーム」というのがあって、気がついたらいつしか私もその流れに乗っていました。その一つに「自然回帰」というテーマがあり、その分野の本を何冊か読んで強い感銘を覚え、自然の重要性に目を開かせられた…おそらくそんなことだったのではなかったか、と思われます。
それを更に後押ししてくれたのが、7、8年前から始めた「俳句」だったように思います。俳句は今でも「自然諷詠」が主流の、どちらかと言えば小説、現代詩などに比して、大変遅れた(?)文芸です。しかし私にはそれが幸いして、人工的な建造物に対するよりも自然の観察の方へと、より関心が向かっていったものと思われます。
さて一つの市から別の市へと行くには、まま昔の表現をすれば郡部を通る形になります。ここ40年当地に住んで、驚くべきその変貌ぶりを目のあたりにしてきた私から見ても。その辺は市街化調整区域として開発が厳しく制限され、まだ昔ながらの田園風景が残されております。
特に小田原厚木道路周辺には、青田がかなり広く続いています。この暑い盛りに、青田を眺めながら通るのはけっこういいものです。実に涼しい眺めです。
同バイパス道路を右折しますと、以前『ひばりそしてつばめ…』でご紹介しましたとおり、遥か遠くの真正面に大山の峰が見えてきます。しかし本日は、大山もその右手に連なる丹沢の峰々も、夏霞みの薄墨色にぼかされて一つながりに連なって見えておりました。
(大場光太郎・記)
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