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万物備乎我(3)

 犬養毅と我が母校とのご縁からだったのでしょう。
 私が母校に在学中だった昭和42年、高校2年の時。犬養元首相のお孫さん(長男犬養健の長女)で、当時評論家として第一線で活躍されていた犬養道子女史が母校を訪問され、講演してくださいました。
 季節がいつだったかも忘れてしまったある日の午後。全校生徒が体育館に集合し、犬養道子の講演に聴き入りました。

 その時の犬養道子(1921年~)の印象としては、当時40代くらい、小柄で華奢な感じでした。壇上で時に身振り手振りを交えられ、時に熱っぽく話され、何となくエネルギッシュな女性だなと感じたことを覚えています。それと、やや離れた所からながら、見た感じ少しきつそうなお顔立ちで、眼に強い光りのある方だなとも。

 山形県下の一高校まではるばるお越しいただきましたのに。何せもう40年以上前のことです。その時の演題が何であったか、またどのようなことをお話になられたのか、今となってはほとんど覚えておりません。
 その中でただ一つだけ覚えている一話があります。それは「カルチュアとは何か?」というお話でした。(もしかして、演題も「カルチュア」に関係したタイトルだったかも知れません。)
 それは大略以下のようなものだったかと思います。
 犬養道子は当時の女性には珍しく、世界の各地を旅行などでよく訪れたそうです。その中でエジプトのとある砂漠地帯を訪れた時のこと。
 砂漠の中に一ヶ所だけ、今で言う「緑化計画」に取り組んでいる所があったそうです。果てしなく砂漠が広がる中で、そこだけ青々と育った草木の群。犬養さんはそれを見て、大変強い感動を覚えたそうです。それを見ながら教訓として引き出したのが、「カルチュア」ということだったのです。
 「カルチュア(culture)」は通常「教養、修養」などという意味に使われます。しかしこの言葉には、「耕作、栽培」という意味もあるのです。この土地のように、普通は不毛といわれている砂漠でさえ、緑化しようという意志の下で「cultivate(耕作する、栽培する)」して現実に成果を挙げている。これを敷衍(ふえん)して、私たちの「教養」もかくあらねばならないのではないだろうか?という訳なのです。
 つまり教養というものは、何の努力もなしに自ずと身に備わるようなものでは決してない。自分の不断の努力で、そのままでは荒れ果てた心の荒地を一生懸命耕し、そこに(教養の)種を蒔き水を遣り肥料にあたるような経験則を加えてやらなければならない。
 また「カルチュア」には「文化、文明」という意味もあるが、古代エジプトの偉大な文明も、当時の人々の不断の努力の賜物で築かれたのではなかったのだろうか…。
                        *
 なお犬養道子は、我が母校を訪れた3年後の1970年以降、ヨーロッパに在住し(1990年代帰国)、1979年頃から世界の飢餓や難民問題と深く関わられたそうです。
 また犬養毅の血族としては。その他現在私たちが知るところでは、元国連高等弁務官だった緒方貞子(曾孫)や、エッセイストで奥田瑛二の奥さんでもある安藤和津(孫・ただし長男健の非嫡出子、後に認知)などがおります。 (文中敬称略)  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記) 

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