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「酔い過ぎる文章」の戒め

 この度「二木紘三のうた物語(3)」において、天声人語様より貴重なご指摘コメントを賜りました。このご指摘は私にとっても、大いに反省すべき点がございます。よってここにそのコメントをご紹介させていただきます。
 それにつきましては、天声人語様よりご了承をいただいておりません。が、いずれに致しましても同記事を開きますと、どなたもコメントをお読みいただけるわけです。天声人語様もし後日こ訪問いただきました折りは、その旨どうぞご了承ください。(私の返信は煩雑になりますので、ご紹介致しません。)

 (天声人語様コメント)
 甚だ辛辣なことを言う様だが、貴方は己が文章に
 酔い過ぎている。

 下手とは言わないが、感動するに至らない。

 確かに「二木紘三のうた物語」シリーズは回を重ねるにつれて、『うた物語(以下このように表記)』それ自体をご紹介することよりも、それとの関わりで私自身のことを全面的に述べることになってしまいました。これはある意味私自身でもある当ブログで、この記事を扱っている以上、私自身の関わり合いを述べてもOKなのでは?その方がただ客観的な紹介よりは面白いのでは?と考え、あえてそのような形にした次第です。
 しかしそのためこの記事をお読みになられた方(特に『うた物語』ご同好の方々)は、『なーんだ。これじゃあ、アンタの自慢話か自己PRじゃないか』とご不快に思われたかもしれません。今回ご指摘をいただき、『うた物語』がいつの間にか『大場光太郎物語』になってしまったかなあと、深く反省致す次第です。(その意味で、中途ながら同記事を「終わり」にしたのは正解だったと思います。)

 「酔い」は本当に酔っ払ってしまっている当人には、まるで自覚症状が無いものなのでしょう。私もこの度天声人語様よりご指摘をいただくまでは、まさかこの私が「酔い過ぎている」などとは、夢思いもしませんでした。私にかかる「酔い」を与えたアルコール成分に相当するものは一体何だったのでしょう。「気の緩み」「多少のおごり」「自惚れ」…?。
 
 「天声人語」とは、中国のさる古典中の「天に声無し。人をして語らしむ。」が出典だったかと記憶しております。いつもなら、私のこれも悪しき習性として、『何だと!』とすぐさまムキになって負けじと反論するところです。しかしこの度は、少しのぼせ上がっていたのかもしれない私への、「天の戒めの声」として、そのまま素直に受け取らさせていただきます。
 天声人語様。このまま本当に「酔生夢死」に陥る前にご指摘賜り、まことにありがとうございました。この私、今後とも道から外れている場合は、忌憚のないご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
 ただし、時に畏兄が「コイツ少し酔っ払っているな」と思われる私の拙文が、実は私の文章スタイルである場合がございます。これは私が半生をかけて培ってきたもので、今さらどうにも直しようがない部分もあり、またそれこそが私の持ち味でもある場合もございます。どうぞその辺をご斟酌賜り、この未熟者を今後とも暖かく見守り続けてくだされば幸甚に存じます。
 末尾ながら、「人様に感動を与えられる文章とは?」。私の永遠のテーマです。
 (大場光太郎・記)

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