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都会の叙情的な雨

 久しぶりの雨になりました。ここ何日も晴れの日が続いてかなり暑くもあり、もうすっかり今が梅雨であることを忘れておりました。昼過ぎからにわかに空模様が怪しくなり、真昼にしては異様な暗さに。『これは一雨くるな』と思っておりましたら、案の定午後一時過ぎから、どっとばかりに堰を切ったような雨が降ってきました。
 以来三時半頃まで、地面を激しくたたきつける驟雨で。外行く人たちも、きのうまでのお日傘とはうって変わって、皆頑丈そうな雨傘で。おかげでここ幾日かの蒸し暑さもだいぶ掃われ、久々の涼気が戻ってきました。(ただし午後四時前には、雨はすっかり上がりました。梅雨というよりも、早い時間帯での夕立だったようです。)
 雨といえばどちらかというと鬱陶しい気分になるものですが、この時期のこんな雨なら大歓迎です。
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 そんな雨を眺めながら、思い出したことがあります。
 雨は時に、都会の意外な一面を垣間見せてくれることがあるものです。
 もう三十年も前のこと。今のような梅雨時ではなく、昭和五十四年五月のある雨の午後。私は当時の上司から用事を仰せつかって、外出して原宿通りを歩いておりました。きょうのような激しい雨ではないものの、そぼ降る雨の午後でした。
 今の原宿通りはどうなのでしょうか。おそらく当時とあまり変わらないのではないかと思いますが、広い車道の両側の舗道にはずっと遠くまでうっそうとした欅(ケヤキ)並木が続いております。

 ひょんなことから、私の東京での職業生活は前年の昭和五十三年の秋頃から始まったばかりで。田舎者の私には、首都という大都会の東京砂漠的な面ばかりが強調されて迫ってくるばかりで、いまだしっくりなじめない頃でした。
 おそらく「雨の欅並木効果」だったのでしょう。その時は雨がそぼ降る中を一歩歩くごとに、原宿通りの瑞々(みずみず)しい美しさが如実に感受されました。そして私はその時初めてと言っていいほど、都会に潜む叙情的な美を発見した思いがしたのでした。

 直後その感懐を、下手くそな一編の詩にしました。五月に当ブログでご紹介しようかとも考えましたが、とてもそのまま公開できるような代物ではなく…。うまく推敲できましたら、来年のその頃公開致したいと思います。
 また面白くもあり、苦(にが)くもあった「私の東京物語」。いつかシリーズとして、ご紹介できればと思います。
 (大場光太郎・記)

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