終戦記念日に思うこと
8月15日。満63年目の終戦記念日です。思えば、63年はずいぶん長い歳月です。あの戦争を直接体験された方々は、ご高齢化されあるいは次々に世を去られ、戦争体験が語られることが年々少なくなり、そのうち若い世代から、「えっ。日本は昔どっかの国と戦争したんだ?で、どっちが勝ったの?もちろん日本でしょ」というのようなことにもなりかねません。
かく言う私からして、かつての戦争も終戦の日もその後の戦後の混乱期も、何一つ知らないわけです。戦争や終戦を語ろうとする時、私自身まずこのことを謙虚に思い致さねばならないと思います。
63年前のちょうどこの日。終戦の報すなわち天皇の歴史的な玉音放送を聴いた国民は、戦争の捉え方によって各人各様の感懐があったのでしょう。極めて少数の人は自決さえしました。しかし多くの国民は、その前からうすうす日本の敗戦を予感しており、それまでの閉塞感からようやく開放されたと感じたのではないでしょうか。
それが極まって、吉本隆明(詩人、思想家。当時は学生)のように、当日の抜けるような青い空に、何か得体の知れない虚無の裂け目を感受したという、何やら戦後日本全体を予見したような人もいたようですが。
それにしても、余りにも多大で悲惨な代償を払った果ての終戦の決断(連合国からのポツダム宣言の受諾)でした。東京を始めとする米軍機の爆撃による全国主要都市の焦土化、広島・長崎での原爆投下による死者・20万人以上、死亡軍人230万人、死亡民間人80万人…。(数字はいずれも推定)
あの戦争を主導した軍部などの当時の指導者には、確たる見通しもないまま「神国思想」「皇国史観」という神秘思想をより所に、戦争に突入していった感が否めません。日米の国力の差を冷静に分析検討し、出来れば戦争回避を、無理ならば早期の終結を…と唱えていたのは、山本五十六連合艦隊指令長官(昭和18年4月18日撃墜死)ら海軍首脳の一部だけ。
以前の日露戦争の時の児玉源太郎のように、戦争に全責任を負う立場の指導者の中に、開戦前から戦争終結までを見通していた真の戦略家が存在しなかったということでしょう。
今にして思うことは、時局を戦時色一色に染め上げていったのは、何も陸軍首脳部など一部の勢力だけではなかったということです。当時の新聞等のマスコミも大政翼賛的に戦時体制を煽り、何より忘れてならないのは、国民の多くがその方向性を支持したということです。いくら軍部の力が強大であっても、国民世論の圧倒的多数が「戦争絶対反対」であれば、戦争は回避出来た可能性が高いのです。
そのように一方の極から他方の極へ、あっという間に振れやすい国民性。私はつい数年前のイラク戦争の時に、その恐さを垣間見た思いが致しました。加えて、近年のナショナリズムに傾斜しやすい傾向性。そして私や私より若い「戦争を知らない」世代のトップリーダーたちの間から、「太平洋戦争擁護論」や「核武装やむなし論」が出ていることに、大変な危惧を感じます。
(大場光太郎・記)
(追記) 本記事とは関係ありませんが。8月15日深夜0:30過ぎ確認致しましたところ、拙詩『死者たちを想う季節の中で』が、ココフラッシュ「詩カテゴリー」の「ディリー部門」第1位になっておりました。くまさん様の『ビニール袋・パートⅡ』以来の快挙です。
最初にコメント下さいましたBianca様、そして皆様の同詩へのアクセスの賜物です。大変ありがとうございました。
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コメント
大場様
当時の指導者さえ冷静な判断をしていれば戦争は起こらなかったし、終戦ももっと早くできたはずです。。日本が壊滅すると判ってからも歯止めが利かなかったんですね。当時の指導者がそのまま突き進むしか考えが及ばなかったということにつきると思います。どうにもならなかったのではなく、戦争を回避する努力をしない、あるいはしたくなかった。人間は本来(争う)本能みたいなものがあるのではないかとさえ思います。げんに今だって戦争している国もあるし、一触即発という危うい国同士もあります。歴史を見ても人は繰り返し争っています。私も人間がよほど真剣に未来を考えないと(争う)という本能みたいなものに押し流される危惧を感じます。
投稿: おキヨ | 2008年8月15日 (金) 00時50分
おキヨ様
確かにおっしゃる通りだと思います。時々の最高指導者は、一国の命運を握っているわけですから。ましてや、戦争か否か、あるいはこのまま戦争続行か終結すべきか、という非常時の指導者は。ある巨星は昭和10年以前、かくなることを見通して嘆息したそうです。「かつての西郷隆盛は、一等星だった。しかし今の指導者連中は、皆二等星以下の者ばかりでどうにもならんのじゃよ」「それではいっそのこと、貴方が組閣なさればいいんじゃありませんか」「ワシが総理になってやってもいいけど、閣僚が2等星以下ばかりだから組閣出来んのだよ」 この話は、今日の政治的指導者にとっては、特に耳の痛い話でしょう。
ところであの戦争を語る時、指導者の戦争責任論が決まって問題視されます。しかしマスコミそして国民自体の責任については、あまり深く追及されてこなかったようです。今の私たちの「民主主義の成熟と深化」のためには、その問題を避けて通ることはできません。
ともあれ本日改めて、心の中で「平和の誓い」「不戦の誓い」を新たにしたいですね。
投稿: 大場光太郎 | 2008年8月15日 (金) 01時28分