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東京オリンピックの思い出(3)

 私にとっての『今の世の中どうも変だぞ』という感覚は、東京オリンピックなどはそのほんの端緒に過ぎず、それ以降どんどん強くなっていきました。社会全体が巨大な龍のように、「物質的な豊かさ」を求めてうねりをあげながら突き進んでいきました。
 今振り返って申しますが、それは私とはまるで波長の合わない社会でした。いくら合わせようと努めても、不器用な私には肝心の部分でどうにもこうにも調子が合わなくて、とにかく困りました。そんな具合ですから、この私は中学高学年の頃既に、この社会の落伍者であることが確定していたようなものでした。

 『このまま世の中との折り合いがつかず、めちゃくちゃなままオレは終わるんだろうなあ』と、今回の人生全部を棒に振る覚悟でおりましたら。ある時から、『おっ。少しずつ波長が合い出したかな?』と感じられるようになりました。
 今振り返りますと、きっかけはあの「バブル崩壊」だったようです。あの出来事によって、あっという間に、この日本から約1000兆円もの金が失われたと言われています。(それは元々バブル・泡だったのだとも言えます)。皆様、それがどれくらいの損失か想像がつきます?それは例えてみれば―大正12年9月1日に起きた「関東大震災」の被害総額が、今の時価に換算すると約100兆円になるそうです。そうしますとバブル崩壊時、この国に関東大震災クラスの巨大地震が、同時多発的に連続して十個も起きたことになるわけです。

 当時の日本社会全体にとって、いかに衝撃的な出来事だったかが分かります。ですから日本全体、金融、経済など各分野でその建て直しに四苦八苦し、その後遺症は今日にまで尾を引くことになります。
 それは、あの昭和30年代半ば以降、「豊かな社会」を目指して先祖伝来脈々と受け継いできた農耕社会をかなぐり捨てて、欧米型の工業社会を目指して猪突猛進してきた戦後ニッポンへの、「天の鉄槌」ではなかったかと私などは思います。
 その結果この国は、以後どんな経済政策を実施しようとしても、「不景気」のスパイラルから脱出せないように見受けられます。しかしものは考えよう。バブル以前の狂乱状態こそが、「自然の法則」からすれば完全に異常だったのであり、むしろ今のこの状態の方が少しはまともになってきたとも言えます。だから「不景気」は「普景気」。世も人も「夢よもう一度」などとは、決して考えないことです。

 とにかく。社会全体にとっては大変不幸な出来事のおかげで、私は少し息を吹きかえすことができたのですから、皮肉といえば皮肉です。「変り者」が少しは見直される時節になってきたのです。

 もう媚びなくてもいいのですよね。(略)これからは本音の時代が来ますから、良い子をやめることですね。人から良く思われようなんて、いっさい考えないことです。
 (略)変人というレッテルを貼られたらしめたものです。やりたいことが、本当にやれますからね。                (足立幸子著『あるがままに生きる』より)

 バブル崩壊以降、社会全体も国民も少しは「モノの豊かさだけじゃあダメなんだ」ということが、実感として分かってきたのではないでしょうか。
 「モノ、カネ主体の価値観」が必ず行き詰るのなら、ではどうすればいいのでしょう?それとは別の価値観への転換を図る以外ないわけです。別の価値観、それは「精神的、スピリチュアルな価値観」です。モノとスピリチュアルとのバランスです。その探求が今やっと、その端緒についたばかりです。この社会も各個々人も。  ― 完 ―

 (大場光太郎・記) 

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思い出」カテゴリの記事

コメント

大場様
バブルの時期は確かに異常でしたね。何もかも浮かれていると言うか、狂騒状態だったと思います。したがって、崩壊して当然だったし、心ある人はこんな状態がいつまでも続くとは勿論思ってはいなかったでしょう。ある意味で、正常に戻ったと言えそうです。
東京オリンピックの「位置付け」は、もっと違うように思います。戦後日本の経済成長の中で、一つの通過点だったのではないでしょうか。アジアで初めての五輪だったし、それなりの国際的意義はあったと思います。そういう意味で評価できると思いますが・・・

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年8月28日 (木) 15時29分

矢嶋様。こんにちは。
 当記事では、東京オリンピックなどを否定的に捉えたかも知れませんが。今の私は、戦後日本の歩みのすべてを否定するものではありません。かつての「原理主義少年」も、この世の種々相にもまれて少しは柔軟になりました。それに最近読み返した船井幸雄の著書の中に、こんな言葉がありました。「社会的にも個人的にも、過去に起きたことは、すべて必然、必要、ベストだったのだ」と。(これは次回『うた物語』コメントでも、使わせてもらうつもりです。)その意味では、あの「バブル崩壊」でさえ、大変な痛みを伴いましたが、国家と国民にとって貴重な良い経験だったのかも知れません。
 以前確か貴ブログで、矢嶋様が東京オリンピック開会式を取材され、大変感動されたという記事があったように記憶しております。その実際の臨場感と私などの距離感から、同オリンピックに対して、およそ異なる感慨を持つことになるのは致し方ないものと思われます。
 ただ私としては、同オリンピック(や、大阪万博)などが、30年後のバブル崩壊に直結していた面は否定できないのではないだろうか?そしてその当時、ドエライ崩壊を一体どれだけの人が予感していただろうか?そのことを、当記事で暗に問いたかったわけなのです。
 法律の世界ではよく、「権利と義務」という用語を用います。未熟な民主主義社会にあっては、とかく「権利」ばかりを主張したがります。がしかし、権利と義務は本来、表裏一体のものであるはずです。私も含めて多くの国民は上から下まで、高度成長経済の恩恵、下世話な表現では、その甘い汁をいっぱい吸ってきました。その享受してきた分に見合うだけの「義務=責任」を、我々は十分に果たしてきたのだろうか?という問いかけでもあります。(若輩者がまた生意気なことを…。ご寛恕賜りたいと存じます。)

 (追記) 先日は貴ブログにて、私の次回WBCの監督には誰が?という問いにお答えいただき、ありがとうございました。古田そして伊東。確かに若々しくていいかも知れませんね。それにおっしゃるとおり、共にキャッチャー出身で、野球頭脳は抜群なものがありますから。
 私個人としては、名前があがったうちの、落合がいいのでは?と思っています。現役時代から「オレ流」のファンだったもので。それに監督としての手腕もただならぬものがあるようです。(たまに、チョンボ采配もありますが)総合的に見て、守銭奴などという批判はあるものの、指揮官としての冴えた力量からして、以外にも内心はクリアーなのかもしれません。
 年がもっと若ければ、断然野村克也なのですが…。 

投稿: 大場光太郎 | 2008年8月28日 (木) 17時29分

 大場様の主張に共感を覚えつつも、私も矢嶋様と同意見です。当時の景気の異様な高揚がバブルなものであることは多くの人が自覚していましたが、行き着くところまで行かないと無理だろう、という醒めたところがあったように思います。
それが、バブル崩壊後の混乱をある程度ソフトランディングへと導いたのではないか、という印象を持っております。
 東京オリンピックで思い出したのですが、終わってまもなくの頃、ある韓国の人から「アジアでもオリンピックが開かれたことが嬉しい。」といわれたことがあります。きっと嫉妬心も強かったと思いますが、この東京大会の成功が一つの刺激となって、韓国中国などの発展に繋がって行ったのではと思うのですが・・・。

投稿: くまさん | 2008年8月28日 (木) 18時12分

くまさん様
 バブル崩壊後の「ソフトランディング」。確かにおっしゃるとおりだったかも知れません。あの頃「ハードかソフトか?」で国論が二分しているような感すらありました。最終的には政治決断で「ソフトランディング」で落ち着きました。その結果メガバンクなどは国民の血税である公的資金を大量に投入して救済しながら、地方の中小企業はその銀行の「貸し渋り、貸しはがし」という血も涙もない方針で、相当数が倒産に追い込まれました。
 私の顧客筋でも、倒産、行方不明あげくの果ては自殺者まで出ました。だからその政策決定には、もの凄い非難も巻き起こりました。しかし結果的にみれば、不公平感はぬぐえないものの、最小限の被害、犠牲で危機が回避されたと捉えるべきなのかもしれません。
 あの時もし「ハードランディング」を選択していたら?強烈な痛みが社会全体に走るものの、ごく短期間で事態は収拾できた可能性もあります。しかし何せ劇薬ですから、予期せぬ副作用で金融界のみならず、日本社会そのものがガタガタになっていた可能性も捨て切れません。その隙に乗じて、IMFなる得体の知れない国際機関が待ってましたとばかりに我が国を管理下に置き、気がついたら「第二の占領状態」などということも…。
 国民全体の意志を無視しては、いかなる政策決定も出来るものではないと思います。「ソフト」に導いたのは、おっしゃるとおり案外国民の声なき声、民族的叡知だったのかも知れませんね。
 「東京オリンピック」については、前日まで意見交換致しました「朱子学」のように、ものごとにはすべて「功と罪の両面」があると思います。ただ同オリンピックの場合、懐かしくも輝かしい記憶と共に、それを実際に目撃した国民の大多数が「功」を讃えていることは私も十分承知しております。(そして確かに、以前中国などにとって明治維新が格好の見本になったように、東京オリンピックからソウルそして今回の北京へとつながったということは、まったくその通りだと思います。)
 そこで天邪鬼な私は、今回あえてその「罪」の方を強調してみました。が、皆様の本当に大切な思い出に、ケチをつけてしまって…ごめんなさい!

投稿: 大場光太郎 | 2008年8月28日 (木) 23時21分

 いえいえ、大切な思い出にケチをつけられたなどとは、私は全く思っておりません。当時の国民の中にはきっと、大場様と同じような感慨を抱いた人が他にもおられたに違いありません。現に、今回の北京大会でも、地方によっては殆ど盛り上がりが見られなかったという話も仄聞します。それが本当でしょうね。
 10人が10人すべてが、物事の光の部分だけを、あるいは影の部分だけを主張する、主張を強要される社会は異常です。全体主義です。
天邪鬼、大いに結構。天邪鬼が容認される社会こそ民主主義の証しであり、健全な社会の維持発展につながる大切な含み資産と言えましょう。

投稿: くまさん | 2008年8月29日 (金) 16時42分

くまさん様
 私の「天邪鬼」をご擁護いただき、どうもありがとうございます。それに畏兄の、天邪鬼、少数意見、マイノリティなどを受容してこその「健全な民主主義」とのお説、『なるほどなあ』と拝読させていただきました。
 一言弁明させていただければ。私とて、日常のすべての場面で天邪鬼であるわけではありません。日常では、むしろ人一倍常識的な人間に映るかもしれません。
 ただ振り返りますと、東京オリンピックの例に見られるとおり、(たとえが悪くて申し訳ありませんが)巨人軍大嫌い、自民党大嫌い…と、どちらかというと「体制嫌い」の面があったようです。

投稿: 大場光太郎 | 2008年8月29日 (金) 19時51分

以下の文は、適当な時期に削除してください。
落合監督が最近、WBC監督就任を要請されたが、断ったということです。
リンクできれば、下に貼り付けておきます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080830-00000030-nks-base

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年8月30日 (土) 14時05分

矢嶋様。
 WBC監督問題に関する、貴重な情報をご提供いただきありがとうございました。
 そうですか。既に要請されていながら、落合博満断っていましたか。残念ですが、そこが「オレ流」ですから仕方ありませんね。願わくば星野以外の、古田でも、伊東でも、優秀な人を早く選んでもらいたいものです。
 今回の矢嶋様のコメントも貴重な情報です。このまま残させていただきます。ご了承ください。

投稿: 大場光太郎 | 2008年8月30日 (土) 14時19分

了解しました。リンクできて良かったです。
あの後、少し考えましたが、できれば日本シリーズで優勝した「日本一」のチームの監督が、WBCの監督になるのが公平・公正だと思っています。プロ野球実行委員会がどう考えるかですが。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年8月31日 (日) 10時34分

矢嶋様
 そうですね。それが一番公平・公正かもしれませんね。過去に、オリンピックの女子マラソンの選考基準を巡って、紛糾してきた経緯があります。WBC監督の場合も、国民の多くから見て『あヽ彼ならば!』と納得できる選考であってほしいと思います。私の場合、今回の星野ジャパンには、素直に声援を送ることができませんでした。

投稿: 大場光太郎 | 2008年8月31日 (日) 11時20分

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