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東京ビッグサイト(1)

 つい先頃、東京ビッグサイト内のエスカレーター事故のことが大きく報道されました。テレビでその都度、エスカレーター付近のようすやその外観が映し出されました。私は『そう言えば、オレもだいぶ前あそこに行ったことがあったんだよなあ』と、懐かしく画面を見ていました。
 今回シリーズで、東京ビッグサイト(東京国際展示場)を訪れた時のことなどを述べてみたいと思います。
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 今から12年前の平成8年の8月のことだったと思います。
 当時私は、7月末で直前の会社を辞めて失業中の身でした。転職癖があった当時の私の悪いクセで、辞めたはいいけれど、その先何をするという明確なプランなど何もなく。かといって先々のことをさして深刻に思い悩むでもなく。9月のある日『そうだ。行政書士の資格を活かせないだろうか!?』と閃くまで、まだ脳梗塞で倒れる前の母の小言などどこ吹く風とばかりに、光太郎ならぬ全く光らないプー太郎状態で過ごしておりました。(母が翌年6月に倒れたのは、私のそういう親不孝生活の心労が重なったせいであることは明らかです。)
 そんなある日雑誌か何かで、船井幸雄(以下人名の敬称略)という人が主催する大きなイベントが、8月中のある週末に行われるということを知ったのです。会場は都内はお台場の東京ビッグサイトという建物らしい。『どうせヒマなんだし』とばかりに、私は行くことを即決しました。

 「船井幸雄」という人については、ご存知の方も多いかもしれません。1933年(昭和8年)大阪のとある神社の神主の子息として生まれ、京都大学農学部出身、卒業後主に経営コンサルタントを業とし、その後自分の会社を設立し、(株)船井総研を経営コンサルタント会社としては日本で初めて株式一部上場させた人物です。顧問先会社は国内外で数千社にものぼるそうです。
 これだけの簡単な経歴紹介でも、第一線で活躍するバリバリの企業家としての像が浮かび上がってきます。事実そのとおりなのですが、もし氏が単にそれだけだったら、私は氏に対して全く何の関心も示さなかったでしょう。
 氏には経済人、企業家とは全く別の側面があり、そのゆえにこそ私は20余年前から船井幸雄という人に注目していたのです。

 なお余談ながら。私はテレビなどが「時の人」として、いくら大々的に取り上げても(いやむしろ、取り上げれば取り上げるほど)私はそれだけではその人物を過大評価することはまずありません。
 私が「有名人」を評価する基準は、大きく二つあります。その一つは、その人が「意識レベルが高い」と感じられること。もう一つは、その人が「至誠の人」であるかどうかということです。この二つは、常日頃テレビなどに身をさらしている有名人ですから、いずれ『ああ、この人はこういう人だったのか』と、その人間の本質的な部分が否応なく分かってきます。
 ちなみに船井幸雄は、あくまでも私個人の基準ながら、極めて意識レベルが高くかつ至誠の人という、稀有な人であるように思われます。 

 (話は戻って)船井幸雄は、今まで百冊を越えるほど著書を上梓しております。私はそのうち少なくとも10数冊は読みました。それによって分かったことは、氏が30代の頃愛する肉親の相次ぐ死によって、「宗教的回心」のような体験をし、以来私の最大関心事と同じである「精神世界・スピリチュアル」への探求を深めていくことになったらしいということです。
 但し船井幸雄は、私のような凡俗とは人間的な器量もパワーもおよそ桁違いです。だから氏は、その探求の成果を著作として世に問うたり、経営コンサルタントの立場でそこから得られた叡知をフル活用したり、更にそれすら超えて広く日本全体、人類全体のより良き「進化向上」のために、当時から大車輪の活動をされていたようです。      (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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