« 秋 | トップページ | 東京オリンピックの思い出(2) »

東京オリンピックの思い出(1)

 8月23日、17日間にわたって繰り広げられた北京オリンピックが閉幕致しました。当初懸念されていた大規模テロも起きず(局地的小規模なものはあったようですが)、無事大成功裡に閉幕し、国の威信をかけた中国政府と関係当局は大満足、大安堵といったところでしょうか。

 『そういえば今回のオリンピック、ほとんど見なかったよなあ』。まさにそうなのです。開会式も閉会式も、北島康介の金二冠の泳ぎも、宿敵アメリカを破った女子ソフトボールの決勝戦も…。ほとんど生中継では見ておりません。後でテレビのニュース番組等で逐次その結果だけを知った程度です。
 業務のことと当ブログのことでそれどころではなかった、ということがやはり大きな:原因です。しかしそれ以外にも。オリンピックそのものが回を追うごとにショー化されビジネス化されています。そのことによって、クーベルタンが提唱した近代オリンピック本来の精神がどこかにいってしまい、競技自体をつまらないものにしている部分があることも否めません。それに当今は、わざわざ四年に一度の世紀の祭典を待たずとも。サッカーならワールドカップが真の王者決定戦だろうし、野球も本当のチャンピオンはアメリカのワールドシリーズの優勝チームだろうし。その他柔道でもマラソンでも水泳でも、年に何度も大きな国際大会が開催されているんだし…わざわざ注視して視る必要性も感じないわけなのです。(以上は、あくまで私だけの考えです。)

 北京オリンピックへの私自身の距離感のことを考えながら、私は今から40数年も前の昭和39年の「東京オリンピック」のことに思いが及びました。
 当時私は中学3年生。私と同じくらいに若々しかった戦後日本が国際社会に本格デビューするのに、東京オリンピックは絶好の檜舞台だったに違いありません。その世紀の大イベント成功のために、何年も前から周到な準備を重ね、会場となる各施設はもとより首都高や都市景観全般など、首都・東京の整備が急ピッチで進められたと聞いております。

 今だから告白致しますが。この私は、国民全体が熱狂したに違いない、あの世紀の祭典に当時全く関心がありませんでした。実は私は、同オリンピックをただの一度もテレビ観戦していないのです。
 当時お世話になっていた母子寮には、その1、2年前から集会室に(白黒)テレビが設置されていました。それで夜のゴールデンタイムなどは、寮内の人なら誰でも好きなだけテレビを視ていいことになっていました。だからオリンピックを視ようと思えばいくらでも視られたのです。事実寮内のお母さん方も子供たちも、オリンピック期間中は特別昼夜なく集会室に集まり、テレビ観戦に熱狂していたようです。時折り、だいぶ離れた当家にあてがわれている部屋にまで、廊下を伝って大歓声が聞こえてきたほどでした。  (以下次回につづく)
 
 (大場光太郎・記)

|

« 秋 | トップページ | 東京オリンピックの思い出(2) »

思い出」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。