« 万物備乎我(6) | トップページ | 処暑 »

マリアへ少女の祈禱

              リルケ

  これは私が自分を見出す時間だ。
  うす暗く牧場(まきば)は風の中にゆれ、
  凡(すべ)ての白樺の樹皮は輝いて、
  夕暮れがその上に来る。

  私はその沈黙の中に生い育って、
  多くの枝で花咲きたい、
  それもただ総てのものと一緒に
  一つに調和に踊り入る為め……
     *      *      *
  夕暮れは私の書物。花緞子(はなどんす)の
  朱の表紙が眼もあやだ。
  私はその金の止金(とめがね)を
  冷たい手ではずす。急がずに。

  それからその第一ペエヂを読む、
  なじみ深い調子に嬉しくなって―
  それから第二ペエヂを更にそっと読むと、
  もう第三ペエヂが夢想される。
     *      *      *
  誰が私に言ひ得る、
  何処(どこ)に私の生が行きつくかを。
  波として池に住むのではないか。
  また私はまだ春に蒼白く凍ってゐる
  白樺ではないか。

            (茅野 蕭々訳)
   
    …… * …… * …… * …… * …… * ……

  《この詩の思い出》
 この詩は、高校3年の時の現代国語の一学期の授業で習いました。私はこの詩の授業中、およそ考えられない素っ頓狂なことをやらかしました。その思い出を以下に述べさせていただきます。

 授業でこの詩を一読した途端、私の中でインスピレーションのようなものが溢れ出してきたのです。新任して間もない若い男性教師の話などそっちのけ。私はその溢れる想いを、あたかも霊現象でみられる自動書記のように、次から次へとノートに書き記していきました。言葉は途切れることなく、次々と。ノート一面が私の下手くそな字でほぼ埋まった頃、やっとその流れは止まりました。
 それを自分の中だけにしまっておけばいいものを。私は咄嗟に「先生!」と挙手し、「この詩に今思いついて感想を書いてみたので、読み上げてもいいでしょうか?」という意味のことをズーズー弁で。先生は寛容にも、即座にオーケーしてくださいました。こうして私は、先ほど記した感想をクラス全員に向かって読み上げたのでした。

 さてその内容はどんなものだったのか?今となっては、皆目思い出せません。ただ読み終わって着席すると、先生は「いやあー、大場君。凄いじゃないか。こんな感想を書かれたら、国語の教師上がったりだよ」というようなことを言われました。
 これはあながちお世辞だけではなかったようで、卒業も差し迫った頃、この先生から年一回発刊の学校の機関誌に、卒業生代表として一文を書いてくれないかと依頼されました。(400字原稿用紙10数枚。但しこの時は、すらすらとは書けなくてウンウンうなりながら。30代の頃恥ずかしくなって、その機関誌ごと処分しました)。頭の良い連中には頼めなかったのでしょう。何せ彼らは、大学受験のことでそれどころではなかったでしょうから。

 今改めてこの詩を読み返してみますと、『あの時何であれほどのインスピレーションが湧いたんだろう?』と、本当に不思議です。確かに良い詩だとは思いつつも、その時のような溢れる想いは湧き上がってこないのです。
 そんな今の自分でも、頭の中でこねくりまわせば、この詩への感想は書けるでしょう。しかし止しましょう。18歳の自分に笑われそうですから。(なお教科書に載っていた詩は、全く同じながら、新仮名遣い、漢字がひらがななど若干表記が異なります。今回は、岩波文庫版『リルケ詩抄』を用いました。)

 (大場光太郎・記)  

|

« 万物備乎我(6) | トップページ | 処暑 »

名詩・名訳詩」カテゴリの記事

思い出」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 万物備乎我(6) | トップページ | 処暑 »