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          オイゲン・クロアサン

  けふつくづくと眺むれば
  悲(かなしみ)の色口にあり、
  たれもつらくはあたらぬを、
  なぜに心の悲しめる。

  秋風(あきかぜ)わたる青木立(あをこだち)
  葉なみふるひて地にしきぬ。
  きみが心のわかき夢
  秋の葉となり落ちにけむ。

           (上田敏『海潮音』より) 

    …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》 

 日常的な何気ない景色の中に、ふっと季節の推移を感じることがあります。この詩の場合は、それが秋であるわけです。ちょうど今頃の初秋の候でしょう。
 秋色。悲秋。それゆえ誰か他人がつらく当たっているわけでもないのに。秋の訪れを心が感じてしまったがゆえに、心が独り悲しんでいるというのです。

 この詩に限らず、そういうことってよくありますよね。私たちの心は、外界の事象の印象から喜怒哀楽を感受するのですから。

 心が既に秋を感受してしまったがゆえ。見ればまだ青木立なのに、それに吹き渡る風はもはや夏風ではなく「秋風」です。その「滅びの秋」の予兆の風に、葉なみさへ震えます。
 そのさまを見て、詩人の心は目の前の景色を飛び越えて、人間の普遍的、不可避的とされる考察へと飛躍します。すなわち、
    きみが心の若き夢  
    秋の葉となり落ちにけむ。

 「きみ」とは特定の誰かでしょうか。それとも若者全体を代表させた人称なのでしょうか。あるいは客観視した詩人自身なのでしょうか。

 いずれにしても、その「若き夢」はやがては秋の落葉のように朽ちてしまうだろうというのです。その時に到れば、「若き夢」=「落葉」。これは人類全体の心の奥深くに潜む、深い悲愁であり詠嘆です。
 (但し天邪鬼な私は、この人類共通の通念に大いに異を唱えたいと思います。それは、いずれまた別記事にて。)

 (大場光太郎・記) 

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コメント

 この詩は最近の『秋が兆せし街並み』の中でも引用しました。今回は同詩に私の鑑賞文付きの一文を再掲載するものです。

 「けふつくづくと眺むれば
  悲の色口にあり、……」
 まさに「秋思(しゅうし)」-秋の寂しさに誘われる物思い-の名詩です。上田敏の訳がまた秀逸です。カール・ブッセの『山のあなたに』と共に、記念碑的訳詩集『海潮音』中の白眉であると思います。

投稿: 時遊人 | 2011年8月24日 (水) 00時58分

 この名訳詩を再掲載するのは、2011年に続いて2度目です。秋の名詩として毎年でも掲載したいくらいです。

  きみが心のわかき夢
  秋の葉となり落ちにけむ。

 なお、私の鑑賞文末尾の括弧書きに対応して設けたのが、『不死の探求』カテゴリーです。今後さらに充実させていきたいと思います。

投稿: 時遊人 | 2013年8月30日 (金) 09時36分

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