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「そんなことは大した問題じゃないのだ」(5)

 本シリーズ(2)で引用した文中に、解脱して「真理」を体現すればどうなるかを、少しだけうかがわせる箇所があります。
 すなわち真理を体現するということは、「自分の生活における最大のもの」であり、「生々として水々しく生きている「今」を」体感することであるということです。
 ポイントは二つあると思います。一つ目は「真理即生活」。日常生活から遊離した真理はあり得ないということです。それともう一つは、「生々として水々しい「今」」と完全に一致して生きることが真理の体現なのだということです。

 ところで(改めて申すまでもありませんが)、当ブログのタイトルは『今この時&あの日あの時』です。そしてURL(ブログアドレス)の中に「be-here-now」というワードを入れております。これは「今この時、この場所に集中して生きる」という意味です。開設当初のタイトル解題記事でも触れましたが、過去の後悔に生きず、未来の不安に生きず、ただ「今この時」にフォーカスして生きていきましょう、という私の願いを込めたつもりです。そこでも書きましたが、原理としてもし人が100%今にフォーカスして生きる生き方がマスターできたとしたら、その人は年を取ることなく永遠の若々しさで生きられるそうです。
 実はこのような人々のみが生きている世界が、何百年か先の、この地上の未来図なのです。私たちから見れば子孫に当たりますが、もし仮にその世界を覗けるとしたら、さながら神々が生きている地上の楽園に映ることでしょう。(その土台を創る重要な時代こそ「今この時」です。そして上記の生き方を今この時代でマスターした方々は、その何百年か先でも生き続けているかも知れません。)
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 本題からだいぶ逸れてしまいました。
 スコットランド紳士がS大師に語ったような、「哲学や高度な形而上学(物質を超えた世界を極める学問)」が「本当かどうかは大した問題じゃない」と言うのなら。私たちが常日頃、『あヽこれは弱った問題だ』と思って頭を抱えたり悩んだりする出来事などは、一体何だというのでしょう?迷妄(まよい)つつ生きているがために、それらは本当は過ぎ去っていく幻に過ぎないのに、さも実体のある大問題のように深刻に捉えているだけなのではないでしょうか?
 迷いを祓ってよく観てみれば、それらはすべて本当に「大した問題じゃない」のかも知れません。よって今後とも、そんな時は一度立ち止まって、
 「息子よ。(あるいは娘よ。)そんなことは大した問題じゃないのだ」
という、「内なる大師」の声が聴こえるようでありたいものです。   ― 完 ―
 (大場光太郎・記)

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