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朝顔や

    朝顔や濁り初めたる市の空     杉田久女

    …… * …… * …… * …… * …… * ……

《私の鑑賞ノート》
 杉田久女(すぎた・ひさじょ)。明治23年鹿児島県生まれ。東京女史師範附属お茶ノ水高女(現・お茶の水女子大学)卒業。小倉中学教師杉田宇内と結婚。小説を志したのち、「ホトトギス」雑詠に投句、注目を浴びる。天才的で特に光り輝いていたと言われる。昭和7年、女性だけの俳誌「花衣」を創刊、5号で廃刊することになった。昭和11年「ホトトギス」同人を除籍され、昭和21年大宰府の筑紫保養所で没した。 (平井照敏編『現代の俳句』講談社学術文庫より)
                         *
 朝顔のことは、記事としていつか取り上げようと思っておりました。少し時期を外したかもしれません。しかし、朝顔は秋の季語です。以前ご紹介致しました近所の「水路道」には、通路の両側に青紫や紺や赤などの色とりどりの朝顔が今でも咲いていて、道行く人の目を楽しませてくれています。
 確か例年、10月半ば頃までは平気な顔で咲いているようです。

    朝顔につるべ取られてもらい水  
 朝顔の秀句はそれこそたくさんあることでしょう。そんな中で皆様よくご存知のとおり、加賀千代女(かがのちよじょ・江戸中期の女流俳人)のこの句が特に有名です。
 朝水を汲むとて井戸に寄ってみると、何とまあ。つるべにまで伸びてからまった蔓や葉のさま、朝顔の花の形や色、更にはそれを取り巻く周りの景色までもがくっきりと浮かび上がってきます。そして千代女の心根の優しさが伝わってくる秀逸な句です。対して、
    朝顔や濁り初めたる市(まち)の空
 近代俳句界の才女・杉田久女にかかると、同じ女性の朝顔の句でありながら、詠み方捉える視点がガラッと変わってしまいます。

 「朝顔や」と発句(ほっく)にドーンと主役を据えるのは同じとしても。「や」という感嘆を表わす終助詞を用いたことにより、久女が目の当たりにしている朝顔が、より強調されて読み手に迫ってきます。
 続いて第二句、第三句の「濁り初めたる市の空」と、情景は遠景に急にパッと切り換ります。この「一句二章」の近景の朝顔、遠景の市の空のコントラストは絶妙です。

 この句が作られたのは、昭和2、3年頃、北九州は小倉在住の時だそうです。小倉市は当時から、工業地帯として発展途上の町だったようです。この句について久女は後に、「(小倉)市街の空気は煤煙で濁り初め、海上の汽笛にあはせて、所々の工場の笛がなりつづける」とエッセイの中で書いています。ここにおいて、この句の背景がより一層分かってきます。
 しばしば実感されることですが、夜明けから早朝の時間帯は、ピカピカの一日が真新しく創造されるような、何かしら神聖で霊妙な感覚におそわれることがあります。しかしそのような霊気も、日が昇るにつれて久女が述べているようなこと共によって打ち破られ、人間の慌しい諸活動が始まります。

 それを「濁り初めたる」と捉えた。これこそが、近代的知性を十分に身につけていた、杉田久女の真骨頂のように思われます。
 「濁り初めたる市の空」と感受した久女の云いようのない哀しみ。同時に『さあきょうも一日が動き出したぞ』という頼もしさの感じ。このあい矛盾した感情が、その時の久女の中にはあったのだろうと思います。
 しかし独り朝顔は、そんな人間界の「濁り」に決して汚されることなく、清らかに咲いている…。
 (大場光太郎・記)

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名句鑑賞」カテゴリの記事

コメント

 どうもいつもワンテンポずれたコメントをして申し訳ないのですが・・・。
我が家から西に車を1時間ほど走らせると、金沢市を過ぎて松任(現在は白山市)という所に着きますが、ここが加賀の千代女の里です。
私の妹が此処に住んでいますので、よく出かけて行きます。千代女はたぶん歴史上最も有名な加賀の女性でしょうね。平家物語に登場する仏御前という白拍子、平清盛をめぐって祇王と張り合ったこの女性も加賀の女性ですが、知名度では千代女にかないません。
 さて「朝顔」の句ですが、今日では「朝顔に」ではなく「朝顔や」と切れ字にするのが正しいとされています。市のHPなどによると、当初千代女は「朝顔に」と詠んだそうですが、推敲の末「朝顔や」に決めたのだそうです。
   朝顔『に』釣瓶とられてもらひ水。
   朝顔『や』釣瓶とられてもらひ水。
大場宗匠にはこの「に」と「や」の違いによる句のニュアンスの違い、どのように思し召さるるや。門外漢の私にはよく分かりませんが、話に聞くとこういうことらしいです。つまり、朝顔「に」ですと、句の主体は朝顔のために他所へもらい水に行く「心優しい千代女」ということになり、どこか恩着せがましいわざとらしさが感じられますが、これを「朝顔や」とすると、主体は釣瓶に巻きついた「いたずらっ子の朝顔」となり、千代女の方は「まあ、しょうがないわね」と微笑みながら水をもらいに行くという軽み、さわやかさが表現される、そういう違いが出てくると言うんですが、俳句ってなあ実にデリケートなもんですね。
 なお余談ですが、加藤楸邨という俳人は若い頃の一時期此処の松任小学校で代用教員をしていました。奇縁ですね。
ではまた。      (粗忽長屋のくまさん)

投稿: くまさん | 2008年10月 1日 (水) 22時09分

 くまさん様。こんばんは。本日の記事作成に手間取り、少し返答遅くなりました。
 まずコメントにつきましては、いつの記事でもコメント大歓迎です。当初のでも、5月のでも。特に初めの2ヶ月くらいは、ほとんどコメント無しですから。当時は『折角良い記事書いてるつもりなのになあ。訪問者は少ないし、コメントは無しだし。アアアーッ』ということが続きました。くまさん様登場以来、当ブログ俄然活気づき、大変感謝致しております。
 従いまして、たまには『アーカイブ記事』ひっくり返してお読みになって、そのコメントでも大いにけっこうです。
 ところで、くまさん様の現居住地・小矢部市から、加賀千代女の里までそんなに近かったんですか。富山と石川といっても、互いに県境から遠くなければ、車でなら一跨ぎですものね。
 「仏御前」。名前は知っていましたが、詳しい事績もまして加賀出身であることも知りませんでした。御文に興味が湧き、少し調べてみました。有名な祇王と平清盛をめぐって、壮絶なバトルを繰り広げたのですね。最後は二人とも世を儚んで、共に同じお寺で仏門に帰依した…。美談ですね。但し異説があって、仏御前の方はその後加賀に帰ってお酒を売って暮らしたなどという伝説があり、かの柳田國男はこれが「加賀の菊酒」の起源ではないか、と述べているとか。
 宗匠(苦笑)どころか、初心者・大場が謹んで以下のことを述べさせていただきます。加賀千代女の「朝顔の句」。私も千代女が後に、「朝顔や…」に変えたことは知っておりました。ただ今日まで「朝顔に…」の方が広く流布しておりますので、何の注釈も入れずその方を採用しました。「に」と「や」による解釈は、ご引用のとおりかと思います。ただ私の感じで申せば、子供の頃から慣れ親しんだせいか、「朝顔に…」の方が句の通りがよかったのではないだろうか?と思います。
 本文中でも申しましたが、「や」と感嘆を表わす終助詞を使うことにより、「朝顔」がより強調されその存在がぐっと迫ってきます。そして発句を「や」止めにすることによって、第二句、第三句とスパッと裁断されてしまう危険性を秘めていると思われます。杉田久女の句の方は、朝顔の「清」、対して市の空の「濁」のコントラストを浮き立たせるのに、見事に成功しています。私個人の勝手な結論ですが、千代女の句の方は、「朝顔に…」とやわらかでスムーズな流れで通してもらいたかった、と思います。
 なお、俳句はたった「十七音」だけの文芸です。ご造詣の深い畏兄先刻ご承知のとおり、たったこれだけで芭蕉、蕪村、虚子などは、目の当たりにしている小天地の大景や深遠な奥行きを余すところなく描き出しています。そうであるためには。真の宗匠であればあるほど、一字一句の重要性を痛感されていると思います。
 そうでしたか。千代女の里は、同時に加藤しゅう邨(最近文字変換機能の調子がわるくて)とのご縁の地でしたか。同俳人のお気に入りの秋の句を―。
   木の葉ふりやまずいそぐなよいそぐなよ

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月 2日 (木) 01時54分

「に」と「や」ではえらい違いですね。
私も「朝顔に・・・」で習っていましたから、千代女は心優しい人だと自然に思い、決して“恩着せがましい”人などとは思いもよりませんでした。
そうすると「やせ蛙負けるな一茶これにあり」と詠った小林一茶は、極めて不遜で、大ほら吹き、自己主張の強い男になるのでしょうか? 一茶はやせ蛙を励まし、また自らを励ましているのですよね?
「朝顔に・・・」の方が自然で、主体が朝顔でなく千代女になりますが、それで良いのではないでしょうか。
そうすると、千代女は恩着せがましくて、わざとらしい女性になってしまうのでしょうか? 私は決してそうは思いません。それこそ「邪推」だと思います。
どうも勝手な意見を述べさせてもらい、大変失礼しました。
くまさん様の記事はとても参考になりました。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年10月 2日 (木) 11時56分

 矢嶋様。今回の加賀千代女の「朝顔の句」の議論に一枚加わっていただき、ありがとうございます。
 たかが「に」と「や」の違い。されど「に」と「や」の違い。思わぬ展開に、「にやにや」しています。
 本日業務の都合上、申し訳ありませんが短い返信にて。

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月 2日 (木) 12時20分

追伸
この文に刺激されて、大場さんのブログを紹介させてもらいながら、私の拙ブログに一文を掲載しました。宜しかったら、ご一読のほどお願い申し上げます。
くまさん様にもこの場を借りて、御礼申し上げます。小生の一文を読んで頂ければ、幸いに存じます。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年10月 2日 (木) 15時18分

矢嶋様
 貴ブログの当該御文早速拝見させていただきました。そちらでもお礼致しましたが、当記事のご紹介改めて深く御礼申し上げます。
 当該句において私も「に」と「や」を入れ替えて読み比べた場合、「朝顔に…」の方が句調が整い、「朝顔や…」よりずっと自然でしょ、と実感しました。それを、くまさん様の返信では少し私なりの理屈づけをしてお答えしたつもりです。
 思いますに。この句を初めて作った若い時の千代女は、井戸端のつるべにまで、朝顔の蔓が延びていることに『ハッ!』となり、その花の清楚な美しさに改めて感動して…。思わず(何ら頭でこねくり回すことなく)咄嗟に浮かんだ句だったのではないでしょうか?
 分野は違いますが、音楽史上最高の天才と思われるかのモーツアルトは、前もって一つの曲の全体が隅々まで頭の中に思い描かれていたと言われています。(だから後は、頭の中のそのイメージをただ楽譜に書き移していくだけでよかった。)このような能力は、論理を一つ一つ積み重ねていく思考回路とは明らかに違います。直観あるいは霊感(インスピレーション)と呼ばれる、人間の個我(こが)を超えたどこかから流れ伝わってくるものだと思われます。
 その時の千代女も、それに近かったのではないだろうか、と類推されます。「直観」と「理詰め」で表わされた芸術作品のどちらが優れているのだろうか?私は断然前者だろうと思います。古来神品と讃えられる作品ほど、直観的要素の大きい作品だろうと思われます。「理詰め」はとかく、邪念に左右されがちです。
 文章でも、通常「推敲」が良しとされるのは、出だしから理詰めで書いていて、そのままではとてもまともな文章ではないからでしょう。(私の文は常に推敲が必要です。)ちなみにモーツアルトの場合は、今日のクラシックのプロが精査しても、そうして写し取られた楽譜の、「ここはこう直したほうがいい」と指摘できる個所は一音とてないそうです。 

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月 2日 (木) 17時39分

大場様
その通りだと思います。直観こそは創作の原点であって、後で理詰めになると“ロク”なものは出来ません。
会計帳簿を点検する時は理詰めでなければなりませんが、歌や俳句、詩などを創作する時は、最初のインスピレーション(霊感)が何よりも大切だと思います。「理詰め」とは、頭の中でこねくり回すことです。それはインスピレーションとは全く関係ありません。したがって「朝顔に・・・」の方が自然で、流れがスムーズだと思います。
何かとお邪魔しましたが、今後も宜しくお願い致します。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年10月 2日 (木) 20時19分

矢嶋様
 私の拙い説にご賛同いただき、ありがとうございます。
 もっともこの説は、矢嶋様のこの度のコメントのご趣旨を別の面から展開したもので、結論として互いの見解が一致するのは当然かも知れませんが。
 こちらこそ、今後ともよろしくお願い申し上げます。当ブログの拙い記事へのコメント、またお気軽にお寄せください。

 

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月 2日 (木) 20時30分

大場様 今晩は。
 千代女の朝顔の句の『にやにや』談義、矢嶋様まで巻き込んでトンだ展開になりましたね(笑い)。矢嶋様のブログ、私も大変興味深く読ませていただきました。大場様矢嶋様ともに、また矢嶋様のコラムに寄せられたコメントでも、「朝顔に」の方が断然いいと言う意見が大勢ですね。実は私も「朝顔に」派です。白山市当局がこれを知ったら焦るかも(笑)。
 ところで千代女の地元が「朝顔や」の方を採用している理由は、「や」とした千代女の真筆が存在する事に加え、実はもう一つの事情があるらしいのです。
大場様ならご存知かと思いますが、日本の近代文学に大きな足跡を残したある人物が千代女の俳句を批判していて、この句についても、
 『人口に膾炙する句なれども俗気多くして俳句というべからず。』
と酷評しているのです。「もらい水」を彼女の「わざとらしさ」と捉えたのでしょう。その人物こそ誰あろう、かの正岡子規でした。子規のこの酷評がトラウマとなって、松任市(現 白山市)では長い間加賀の千代女も朝顔の句も前面に押し出すことを躊躇していましたが、「朝顔や」とすることで子規の批判を切り抜けようとした、そういう話もあるようです。
 お断りしておきますが、以上はこれまで私が金沢や松任の知人たちとの世間話で聞きかじった情報でして、権威ある説ではありません。(例によっていい加減な話ですみません。)

矢嶋様
 矢嶋様のブログ、コメントは控えさせていただいておりますが、いつも大変興味深く拝見いたしております。あらゆるジャンルに亘る実に深い造詣と洞察に満ちた御文に圧倒されます。なによりも文章に大人の風格を感じております。
大場様、この場をお借りして矢嶋様にご挨拶をさせていただきました。

投稿: くまさん | 2008年10月 3日 (金) 23時27分

くまさん様
 「にやにや騒動(?)」。元はといえば、くまさん様の「問題提起力」が原因ですよ。
 そして今回はまた千代女の句に関する、新事実をご提供いただきました。『あヽそうだったのか』。納得ですね。人間特に日本人は昔から「権威」には弱いですから。
 確かに子規ならばやりかねないと思います。ご存知のとおり、それまで誰も批判したことのない『古今和歌集』『新古今和歌集』などを、シンキくさい、おおらかさがない、観念的過ぎるなどと批判し、「『万葉集』に帰れ」と唱えたような漢(おとこ)ですから。子規自身は「権威」や「タブー」に敢然と挑んだ、当時の「文学界の革命児」でしたね。千代女だろうと誰だろうと、「違うものは違うんだ」ということでしょう。
 子規には、こと「俳句」や「和歌」に関しては、「ここから一線は絶対に譲れないんだ」という、内なる基準のようなものを持っていたのでしょう。その子規の峻厳さが虚子によって受け継がれ、今日の裾野の広い俳句の隆盛をみることになりました。つくづく、弱冠34歳で世を去った子規の大業が偲ばれます。
 それにしても、現・白山市当局をビビらせるなどの「権威」になることを、子規は欲していたのかどうか。案外泉下で苦笑いしているかもしれませんね。 

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月 4日 (土) 00時41分

大場様。くまさん様
貴重な情報とご意見、有難うございます。この場をお借りして、くまさん様にも御礼いたします。
正岡子規が背景にあったとは知りませんでした。子規の俳句・短歌革新運動は知っていますが、当時の権威やタブーに果敢に挑戦し、結局、自ら新しい“権威”を確立してしまったのですね。(本人の意思にかかわらず)

何が俗気が多いのか、どこが「わざとらしい」のか、素人の私には分かりません。音楽でも絵画でも文学でも、受け取る人が良いと思えばそれで良いと思います。人口に膾炙するのはそれなりの理由があるわけで、例えば音楽でも、クラシックから軽音楽、ジャズ、童謡、民謡、フォーク等々(お二人の方が私より良くご存知のはずですが)、さまざまな分野があるわけです。
ある権威(子規のような人)が、これは良いこれは駄目だと言ったから、それに従おうというのであれば、自由の精神も何もありませんね。まるで「ファシズム」ではありませんか。
特に、芸術の分野で自由が無くなれば、もう芸術でも何でもありません。単なる「規格品」の製造でしかないと思います。
“にやにや談議”から又、つい話をしてしまいました。悪しからずご了承ください。

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年10月 4日 (土) 11時00分

矢嶋様
 そうですね。俳句や短歌や音楽や絵画といった芸術に接する時はもとより、日常的なこまごました出来事に至るまで…。私たちは常に何らかの判断や見解を求められる機会が多くあります。その時自己にしっかりした基準がないと、「あの人がこう言っていたから。テレビで誰それがこう言っていたから…」と、ついつい外の考えや意見に同調したり、追随してしまいがちです。
 どんな分野においても、その道の「権威」とはある意味、大衆が自分の見解を述べるのは面倒だし、何かと厄介だから、「その筋のことはあなた様にお任せします」と、人間社会が作り出した利便な装置のような気もします。これだけ複雑化した社会がうまく機能していくためには、ある程度「権威」の存在も必要なのかもしれません。
 しかし私たち庶民の側が、権威に、限度を超えた白紙委任状的「権力」を持たせてはいけません。それでは、おっしゃるとおり「ファシズム」を私たちが容認してしまうことにつながります。
 芭蕉の句に「物言えば唇寒し秋の風」というのがあります。芭蕉の本意は別のところにあったのでしょうが、この句は「教訓的すぎる」といった批判も多くあるようです。俳聖だって時には批判の対象にされる。私はそれでOKだと思います。それがたとえ誰であれ、いたずらに「崇め奉る」ことの危険性をよく考えてみなければならないと思います。釈尊やイエスといった超人(アデプト)ならいざ知らず。肉体をまとっている限り、「絶対者」など誰もいないのです。皆何かしら不完全です。不完全だからこそ、より高みを目指して努力する。それでこその、人間社会かと思います。
 当ブログでは、「物言えば唇寒し…」だから、皆様が『言いたいんだけれど、やっぱり止めておこう』とならないように。お互いこのがんじがらめの「管理社会」の息抜きのために、自由闊達なご意見コメントを ! 私自身が、「心のキャパシティ(容量)」を大きくするよう心がけてまいりたいと思います。

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月 4日 (土) 13時48分

 昨日正岡子規を引用した私のコメントについてお二人が示されたご意見を拝読して、私自身深く考えるところがありました。
白山市が「朝顔や」を定説とした経緯・理由についてお話したのは、あくまでも私人たる友人達との世間話での噂話として出たものであり、市当局から直接聞いたものではありません。しかしお二人にそのような印象を与え、市が正岡子規という一人の権威に盲従したかのようにとられたとすれば、その責任はすべてそのような誤解を招いた私の不適切なコメントにあります。この点については、白山市や白山市民の名誉のためにもはっきりと申しあげておきます。
千代女が最初に「朝顔に」と詠んだこと、その後彼女自身が「朝顔や」と直したこと、子規が千代女の句に(ただし、全部を否定しているのではありません。)批判的であったこと、これは事実です。しかしそれから先は素人の推測の域を出るものではありません。地元の俳人千代女を愛し、彼女の句を愛し、彼女を誇りと思う白山市民が、そう簡単に一権威の前に膝を屈したとは思われません。多くの俳人や専門家に意見を求め、彼女の意図を考察し、一般市民有識者の声も参考にして熟慮の末に結論を出したはずです。私を含め「朝顔に」を支持する声も多いのは事実ですが、それは我々が従来の形にあまりにも慣れ親しんできたから、という要素も多分にあるのかもしれません。ちなみに、若手女流の黛まどかという俳人は、「朝顔や」の方を評価していたのを何かで読んだ記憶があります。
所詮私は俳句の素人です。今一度虚心坦懐に
   朝顔や釣瓶とられてもらひ水 
を味わってみようと思っています。今回の件は私にとって、不用意な発言が思わぬ結果を招来することを、あらてめて思い知らされた貴重な教訓となったようです。

投稿: くまさん | 2008年10月 4日 (土) 20時55分

くまさん様
 現・白山市が実際どのような過程を経て、最終的に千代女の朝顔の句を「朝顔や…」に決定したのか、部外者である私などはまるで分かりません。そこで昨日のくまさん様の新情報に、パクリとばかりに飛びつき、言いたい放題のことを言わせていただきました。
 この弱小ブログを、まさか白山市ご関係の方がご覧になられているとも思えませんが、(もしご覧でしたら、超嬉しいッ!)。この場をお借りして、まことな勝手論どうぞご寛恕たまわりますように。石川県白山市といえば、私も憧れる名山にして霊峰・白山から命名された市かと存じます。そのような貴市を貶めるつもりなど、毛頭ございませんこと、ご理解賜りますように。
 黛まどかは、だいぶ以前『B面の夏』を引っさげて、衝撃的かつ鮮烈な俳壇デビューを果たしました。その中の
   蛍(ほうたる)の窓辺に寄れば君も寄る
などは、それまでにない新鮮な感覚の叙情性に溢れた、未だに彼女の代表句かと思います。(手元に資料がないため、表記が違うかもしれません)。彼女は美人でもあり、デビュー当時からテレビにも度々登場しました。そのお蔭で、俳句の裾野がより広がったという点では、彼女の功績は大変大きいものがあると思います。短歌界の俵万智か、俳句界の黛まどかかといったところですね。
 その黛まどかは「朝顔や…」の方を評価したとのこと。人様が何と言おうと、
   朝顔につるべ取られてもらい水
 私がこちらを断固支持し続けることに、いささかのゆるぎはございません。
 ところで、黛まどかが俳句を始めるきっかけになったのは、当記事のそもそもの本旨である、「杉田久女」の句に衝撃を覚えたからだそうです。ご紹介した私としては皆様に、久女の
   朝顔や濁り初めたる市の空
の方こそ、じっくり味わっていただきたいと存じます。

 というわけで、これ以上当記事につき「にやにや」し続けますと、ブログ全体が「炎上」しかねません。この問題は、これにて一件落着とさせていただきます。どなたもどうぞ、あしからずご了承くださいますように。

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月 4日 (土) 23時23分

大場 様
 私の方こそご迷惑をおかけしました。どうかお赦し下さい。最後にもう一度だけ言わせてください。
いかなる芸術作品であろうと、自由に批評することを許されない社会は「ファシズム」の世界である、このことには一点の疑いの余地もありません。

投稿: くまさん | 2008年10月 5日 (日) 07時36分

くまさん様
 曲がりなりにも、当ブログ管理運営者として、一つの記事で「論」があらぬ方向にどんどん展開し、収集がつかなくなる事態は未然に避けなければなりません。
 ただそれだけです。どうぞご了承ください。畏兄には他の記事でまた「自由に」ご意見等をお述べください。
 

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月 5日 (日) 12時56分

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