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中津川寸描(2)

   株下落ただ静かなり秋の川   (拙句)

 夕方5時過ぎ、例の中津川に立ち寄りました。広々とした川に夕闇迫りつつある頃合です。日は大山の峰に既に入ってしまったのだろうか。山の上はうっすら雲に包まれていて、確かめようがありません。
 いつもの所から降りてみますと。下流に30mくらいの大堰からこちらは、例によってちょっとした湖のように満々と水を湛えています。本夕川面は穏やかで、対岸の木立や工場の建物などをくっきりと水面に映し出しています。こちら岸にびっしり繁茂した草の陰のあちこちからは、涼しい夕虫の声がしきりに聞こえています。幾分秋冷の気を含んだ風が、川原に吹き渡ります。

 堤防の中ほどの踊り段の上でぐるっと川を眺めまわしますと、もうそんな季節なのでしょう。先ず目に飛び込んできたのが、夥しい鴨(かも)の群です。いるわ、いるわ。どこから集まってきたのか、川全体で数十羽ほどはいそうです。
 堰のこちら側に、十幾つもの円形テトラポット(波消しブロック)が、Φ30㎝くらいの天辺だけ水面から突き出して二列に並んで続いています。そこに一羽ずつがちょこんと乗って、羽をたたんで休んでいます。そこを確保し損ね近くを泳いでいるのを含めて、ざっと二十羽ほどはいそうです。
 降り口から下流に行った、いつもの堤防突起の指定席に座りたいのだけれど。そこまで行けば一番近いテトラまでは5mほどで、近づき過ぎです。一羽が川中に逃げてしまうと、「我も我も」と皆逃げて行ってしまいます。それを何度も経験済みなので、降りてすぐの踊り段の所に立って川のようすを眺めることにしました。(その付近は草ぼうぼうで座れません。)

 鴨はこちら岸ばかりではなく、川の中ほどにもそして対岸にもそれぞれ十数羽ずつ群をなしております。一ヶ所にじっとしていたり、あるいは後ろに少し白い水脈(みお)を曳いて気持ち良さ気に泳いでいたり。
 時折りその中で、対岸べりの浅瀬で水面から立ち上がり周りに波紋を広げながら羽ばたきするもの、遠くで「グワァー、グワァー」とけたたましい鳴声をあげるもの、突然飛沫(しぶき)を上げて水面すれすれに滑空したかとみれば群から離れて大堰の更に下流までバタバタと飛び去っていくもの…。

 めんめめんめの実に百鴨百態のさまを、十数分ほど見飽きずに眺めておりました。
 (大場光太郎・記)

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自然」カテゴリの記事

コメント

人間どんな時でも自然に対峙できるぐらいの余裕を持ちたいものと、何時も思います。
(今朝二度ほどコメントの送信を試みましたがダメでした)

投稿: 仙人 | 2008年9月17日 (水) 21時57分

仙人様
 どうもありがとうございます。おっしゃるとおりだと思います。以前『朧月夜』(「名曲」に収録)でも触れましたが、人間は本来「自然の児」なのだと思います。それを忘れると、すべてが狂い出すのでは…。
 と申しましても、今の私は各地の名所旧跡、美しい自然を巡る旅など楽しむ余裕がありません。そこで身近な所に残っている、例えば「中津川」などを頻繁に訪れています。嬉しいことに、いつ行っても常に新しい発見があります。
 それと、コメント送信出来ませんでしたか?どうしたのでしょう?ブログ初心者に近い私は、一切操作しておりませんが。大変失礼致しました。

投稿: 大場光太郎 | 2008年9月17日 (水) 23時44分

仙人様
 貴ブログ『観月の舞』での私の愚問に懇切丁寧にお答えいただき、大変ありがとうございました。本来ならば、貴ブログ内でお礼すべきなのですが、最近私の名前が連続しています。これ以上また名前を連ねてもと考え、申し訳ありませんがこちらでお礼をさせていただきます。
 お説よく分かりました。勝手ながら『観月の舞』、コメントも含めまして全文プリントアウトさせていただきました。またよく読ませていただき理解を深めたいと思います。
 旧暦九月十三夜の月もまたあります。そして何より「月」は秋の季語です。いつかまたよく調べて、さまざまな「月の呼称」についての記事を公開できればと思います。それにしても、今回改めて思いますことは、我が国文化の奥の深さです。私など、知らないことがまだまだあります。
 例えば今年は「源氏物語千年紀」とか。うっかりしておりました。世界的な我が国の古典をさしおいて、「赤毛のアン生誕満100年」などと言っている場合ではありませんね。ありがとうございました。

投稿: 大場光太郎 | 2008年9月19日 (金) 01時49分

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