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秋の蔭

                    高浜 虚子

    もの置けばそこに生まれぬ秋の蔭(かげ)                   
  
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《私の鑑賞ノート》
 高浜虚子(たかはま・きょし)。本名 高濱清。明治7年(1874年)~昭和34年(1959年)。愛媛県松山市生まれ。明治21年京都第三高等学校入学。1歳年上の河東碧梧桐と同級になり、彼を介して正岡子規に兄事し俳句を教わる。明治24年子規より「虚子」の号を受ける。
 明治30年松山で創刊された俳誌「ほとヽぎす」に参加。翌年虚子がこれを引き継ぎ、東京に移転し俳句だけでなく、和歌、散文などを加えて俳句文芸誌として再出発。夏目漱石なども寄稿し、『我輩は猫である』『野分』『坊ちゃん』などは、このほとヽぎすへの連載が初発表。その他では伊藤左千夫の『野菊の墓』や寺田寅彦の『竜舌蘭』など。
 「ほとヽぎす」からは、飯田蛇笏、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男、川端茅舎などを輩出している。
 高浜虚子は、「ほとヽぎす」の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱した。 (以上参考資料・フリー百科事典『ウィキペディア』より)
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 高浜虚子は正岡子規と共に、近代俳句の創始者ともいえる俳人です。そのため略歴も少し長くなりました。

   もの置けばそこに生まれぬ秋の蔭

 他の詩形でなら先ず扱わないような、日常的なありふれた事象での、季節感の発見の句です。俳句は、生活の中の文芸としての側面があるかと思いますが、そのお手本のような作品です。

 考えてみれば、どこかに何か「もの」を置けば、そこに蔭が生まれるのは当たり前のことです。あまりにも当たり前すぎて、誰もそんなことなど気にも止めようとしません。
 しかしニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て、「万有引力」を発見したと言われるように。虚子はさすが非凡です。その時そこに「秋の蔭」を発見したのです。

 このように当たり前すぎて誰も気にも止めない事象にこそ、新しい発見につながる「何か」が潜んでいるのではないでしょうか。そう考えれば、俳句のみならず、各人のいろいろな分野のアイディアの素材は、案外日常の中にごろごろ転がっているものなのかもしれません。後は研ぎ澄まされた感性で、それをいかにキャッチ出来るかという私たちの側の問題で…。

 また留意すべきは、この句は「秋の蔭」であってこその名句だということです。これが「春の蔭」や「夏の蔭」であったら、句のニュアンスは全く違ってきます。

 秋と蔭がダイレクトに結びつくことによって、物の光りの当たらない部分の物悲しさ侘しさの気配が、そこはかとなく読む者に伝わってきます。

 (大場光太郎・記) 

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コメント

 08年9月の記事ですが、今回再掲載しました。
 高浜虚子が「秋の蔭」を発見したように、私たちも身の回りを見渡して、移ろいゆく季節の微妙な変化に敏感でありたいものです。

投稿: 時遊人 | 2011年9月 8日 (木) 01時12分

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