空の鳥、野の花(3)
ここで留意すべきは、「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。」というイエスの言葉です。イエスは別の時に、
私は道であり、真理であり、命である。 (「ヨハネによる福音書・14-6」)
と宣言しています。イエスほど「命」の何たるかを知悉していた人はおりません。何といっても、「私は命である」人だったのですから。 だからイエスご自身は、命それ自体を余すところなく体現され、(「からだ」はともかくとして)「命」には飲食も何の思いわずらいも必要ないことをよくご存知でした。
しかし山上でこうして話を聴いている、夥しい民衆はそうではありません。自分が「命」と「からだ」が一体となって生きていることや、「命の自覚の程度」によってイエスの無限性、自由自在性にいくらでも近づき得ることなど、まるで理解出来なかったのです。
命もからだもごちゃ混ぜにしていて、とにかく「日々の飲食」が彼らの最大の関心事であったのです。それゆえ、「何を食べようか…」以下のことを説かなければならなかったのです。
イエスはパレスチナ全土をくまなく巡教して回り、そのつど多くの病人を癒しております。まるで当時は、病人で溢れかえっていたかのようです。だから四福音書とは、イエスによる病気癒しの「奇跡物語」のようにさえ思われます。
これは当時の人々が、「命という無限で自由自在なるものが、このからだに宿っている」ことなど露知らず、自分を「肉体中心思考」という檻の中に閉じ込めていたということに他ならないと思います。
このような二千年前のパレスチナの人々に向って、イエスは教えを説いたわけです。当時は魚座の二千年のサイクルが始まる頃で、物質性は最も濃密、人類史の中でも人々の眠っている度合いが最も強い時代だったようです。(「魚」はキリスト教会のシンボルの一つです)。現代的表現で言えば、今ほど波動が精妙ではなく、ずっと鈍重・粗雑な世界だったということです。
そんな困難な状況の中で、教えを説かなければならなかったのです。「命とは何か」「真理とは何か」などという核心を、直接的に説いても当時のほとんどの民衆には理解出来ないのです。そこでこの場合の「空の鳥、野の花」あるいは同じ「山上の垂訓」の中の「地の塩、世の光」別の所では「放蕩息子の譬え」など、類い稀な比喩的な物語によって、少しでも真理理解に至らせようとしたわけです。
我が国の伝統的な道の言葉に、「和光同塵(わこうどうじん)」ということがあります。「光を和らげ塵に同じゅうす」―俗な言葉で申せば、「人を見て法を説け」ということです。イエスのこの一節は、まさしくそれに当たり、真理を一段も二段も下げて説かれたものと推察されます。
つくづくイエスのご苦労が偲ばれます。(なお十二使徒たちには、聖書に記されていないような高度な「密教」を別に説いていたようです。) (以下次回につづく)
(大場光太郎・記)
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