秋の日(1)
秋 の 日
リルケ
主よ、時です。夏は偉大でした。
あなたの影を日時計の上へ横たへて下さい、
郊野(こうや)へ風を放って下さい。
最後の果実等に充ちるやうに命じ、
なほ彼等に南の二日を与へ、
彼等を完成へ押しやり
また最後の甘さを重い葡萄(ぶどう)へお入れ下さい。
今家のないものは最(も)う家を立てませぬ、
今一人のものは長く一人で居るでせう、
眼覚めてゐて、読み、長い手紙を書くでせう。
木の葉の散り動く時、不安に
並木の中を往来するでせう。
(茅野蕭々訳『リルケ詩抄』より)
…… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
ライナー・マリア・リルケ(1875年~1926年)は、オーストリア・ハンガリー帝国の一地方都市であるプラハで、ユダヤ系ドイツ人の家庭に生まれた。20世紀を代表する詩人の一人。独特な言語表現による詩で、ドイツ詩に新たな一面を切り開いた。
茅野蕭々(1983年~1946年)は、長野県茅野市の出身。東京帝国大学独文学科卒業。ドイツ文学者。
リルケは、例の『マリアへ少女の祈祷』の一件以来、西洋詩人の中でも最も好きな詩人の一人になりました。
「主よ、時です。」は、少し変わった書き出しです。しかし、この詩のタイトルや全体を読んでみれば、時とはいつなのかはおのずから分かります。ただ石丸静雄という人の訳詩では、「主よ いまは秋です」と最初からはっきり明示されております。(この詩に関しては石丸訳の方を採用したかったのですが、著作権法の関係で出来ません。)
この詩の第一聯(れん)と第二聯は、夏から秋へと季節が移り変わるに当たって、リルケによる主への、豊かな収穫を願う詩的な祈りになっています。
これだけ読みますと、リルケは幾分残暑の名残りをとどめた初秋に、ヨーロッパのどこかの地方の見晴らしの良い高台に立って、肥沃なブドウ畑がうねりながら広がっている丘陵地帯を一望に鳥瞰(ちょうかん)して、作詩しているかのような印象を受けます。 (以下次回につづく)
(大場光太郎・記)
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