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『赤毛のアン』読みました(2)

 初夏のある日、マシュウ・カスバットは引き取ることにしていた男の子が汽車でやってくるというので、駅まで迎えに行きます。しかし手違いによって、マシュウを待っていたのは赤毛でそばかすだらけの女の子でした。
 駅の外れの砂利山の上での、アン・シャーリー登場のシーンは印象的です。私はこのシーンを読んだだけで、アンがいっぺんに好きになってしまいました。

 こうして11歳の赤毛の少女アンは、すったもんだの末、小さな三角の半島のエヴォンリーという自然豊かな土地のグリーン・ゲイブルズ(緑の破風屋根の家)に引き取られることになります。
 以来アンが16歳になるまでの数年間の、その家のマリラやマシュウとの心温まる泣き笑いの日々。無二の親友ダイアナとの友情。美しい自然とのふれあい。「嵐を呼ぶ少女」アンが巻き起こす学校や地域での数々の騒動。土地の人々とのトラブルと和解。後の恋人(になるらしい)ギルバート・プライスとの確執と競争心…。

 読み進んでいくうちに、絶えず「?」がついたことがあります。それは「孤児の少女」アン・シャーリーが、どんな困難な状況に遭遇しても若竹のように曲がらずひねくれずすくすくと育っていく、そんなことが本当に可能なのだろうかということでした。
 私自身の幼少時の「極貧の体験」からして、『逆境に置かれた子供にとって、世間はそんな甘いもんじゃあないはずだがなあ』という想いがどうしても拭いきれないのです。私の場合父親がいないだけで、けっこうな悲哀を味わいました。まして両親共にいないのであればなおのこと、この物語が始まる11歳以前に深いトラウマが心の奥深くに刻み込まれてもおかしくないはずなのに…。これは原作者・モンゴメリ自身が、「極貧の体験者」ではなかったということでしょう。(もっともそんな境遇であれば、こんな名作もまた書けたはずがありませんし。)

 しかし「並みではない魂がひそんでいる」アン・シャーリーは、自由奔放な想像力と活発な行動力を共に持ち、数々の悲喜劇や困難などものともせずに乗り越え、衆に抜きん出た立派な娘に成長していくのです。
 そしてそのことこそが、100年もの長い間、世界中のその時々の少女を中心とした無数の読者に深い感銘を与え、読みつがれてきたゆえんなのでしょう。
    こんなにたくさんの幸せが、
    毎日の中にかくれているなんて。
 (何度でも引用しますが)劇団四季のこのキャッチコピーは、『赤毛のアン』全体を一言で的確に捉えていると思います。アン・シャーリーは本当に「幸せ探しの名人」です。

 だから「?」さえ、物語だからと受容してしまえば、この作品はやはり名作であることに間違いありません。特筆すべきは、モンゴメリの物語をつむぎ出す類い稀れな想像力そしてエヴォンリーの自然描写の見事さです。特に自然描写。同じ季節―例えば春なら春を何回迎えようと、そのつど違った新鮮な角度から春の美しさを的確に描ききっています。
 それに随所に散りばめられた、ウイットとユーモア溢れる文章。そしてハッとするような警句。最後に、私のお気に入りになった文章をご紹介したいと思います。

 「あたしたちはお金持ちだわ」とアンが断言した。「だってあたしたちには、今まで生きてきた十六年間があるし、みんな女王様のように幸福だし、多かれ少なかれ想像力もあるわ。ねえみんな、海をごらんなさいよ。―銀色の影の中に、眼に見えないいろんなものの幻影があるわ。もしあたしたちが百万ドルや、ダイヤモンドをくさるほど持っていたら、あの美しさを楽しむことはできないのよ。」 (「第33章」より)   ― 完 ―
 (大場光太郎・記)

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コメント

大場様は「赤毛のアン」を内側から分析し、文学的なナイーヴな表現をしておられます。
私には、その様な難しい表現は出来ませんが、「赤毛のアン」を外側から見てみました。
写真家に「吉村和敏氏」と言う方がいます、彼は今でこそ若手の成長株で、世界を股にかけて活躍している様ですが、それは苦労を重ねて這い上った様です・・・・。
彼は写真家になろうと決意して、プリンスエドワード島に渡ります・・・・、そこからが苦難の道を切り開いて来たと言っていますが、全てのフォーカスを自分の好きなこの島に合わせて渡航してしまった・・・・だけあって、その写真による表現力は魅力たっぷりのものがあります。
7月に出した「プリンス・エドワード島、七つの物語」と言う画集があります、片掌のひらに乗る様な小さな画集ですが、この1冊を見る時、赤毛のアンの中の自然描写の見事さの、生まれる所以が分かる様な気がします。
有隣堂にあります、機会があったら覗いてみて下さい。

吉村和敏氏の Blog URL は
http://kaz-yoshimura.cocolog-nifty.com/blog/

私は彼のひたむきなところ、飾らないところに惹かれます。
大場様も、私も持っていない所を持つ人だと思います。

「赤毛のアン」の見方の一つとして・・・・。
ご参考まで。

投稿: 仙人 | 2008年9月19日 (金) 23時21分

仙人様
 私の『赤毛のアン』の拙文を評価していただき、恐縮に存じます。
 また、写真家・吉村和敏という人をご紹介していただき大変ありがとうございます。写真家としての第一歩が、かのプリンス・エドワード島だったのですか。(そういえば、『赤毛のアン』全体の舞台として同島の名前を入れなければ、と思いながら入れ忘れてしまいました。)確か物語中にも同島のことは、「世界一美しい島」と描写されていたように思います。この人もあるいは、少年時代『赤毛のアン』を読んで深く感動し、同島へ…ということだったのでしょうか。
 吉村和敏氏のURLご掲示、大変ありがとうございます。早速訪問させていただきました。写真で拝見致しますと、確かに気鋭の人という感じです。今後も時折り訪問させていただきます。また、今度有隣堂厚木店に行った時は、お奨め頂いた本覗かせていただき、同島の美しい自然を味わわせていただきたいと思います。
 確かに十人十色、人さまざまです。自分にないもの、欠けているものを他の人が少しずつ持っているようです。そこで奪い合いではなく、補い合い、満たし合いでありたいものです。仙人様も、私が持ち合わせていないものをふんだんにお持ちです。大いに刺激を与えていただいております。今後とも、よろしくお願い申し上げます。

投稿: 大場光太郎 | 2008年9月20日 (土) 01時14分

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