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秋の日(2)

 しかし、第三聯(れん)において、詩の状況は一変します。
 この第三聯で描かれていることこそが、リルケが今身を置いている状況そのものです。その中での、詩人の本心の吐露なのです。
 この詩全体をより深く理解するためには、ここに至るまでの説明が必要でしょう。

 石丸静雄『リルケ詩集』(旺文社文庫)の解説によりますと。前年リルケは、26歳で彫刻家ロダンの弟子である女流彫刻家、クララ・ヴェストホフと、その年の1月に結婚しています。(その縁でリルケは後に、ロダンと深い親交を結び、後年有名な評論『ロダン』を著すことになります)。北ドイツの一寒村の農家を改造した家で結婚生活をスタートさせ、12月には女児も授かります。しかし経済的な行き詰まりから、間もなく結婚生活は立ち行かなくなります。
 リルケは、生涯の過渡期の重要な所産である『形象詩集』を五百部限定で発刊し、一人でパリへ旅立ちます。

 パリは、リルケにとって憧れの夢の都でした。しかし到着した1902年8月27日は、折りあしく雨の多いもの悲しい季節だったようです。リルケは着くなり、パリはラテン区のさる街区の小さなホテルに投宿しました。
 しかしたちまち街頭の騒音に悩まされ、人並みはずれて繊細な詩人の神経は苛立つばかりでした。

 「人々は生きるためにこの都会へ集まって来るらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ。」  (大山定一訳・新潮文庫より)
 小説『マルテの手記』の有名な冒頭の文には、この時の孤独と苦悩のパリが色濃く反映されていると言われています。

 この詩は、懊悩の日々を送っていた9月21日に、パリで作られた詩なのです。ですから、そのような背景を知ると、第一聯、第二聯の捉え方もまるで違ったものになってきます。それは実際目の当たりにしている風光なのではなく、大都会パリの片隅の安宿の薄暗い一室で描き出された、詩人の夢想の中の風光なのです。もしくは『主よ。我が心にも豊かなるみ恵みを!』という、詩人の心の切実な希求だったかもしれません。

 この時リルケは27歳。この後51歳で人生の幕を閉じるまで、とうとう一定の安住の地を得ることはありませんでした。ヨーロッパ各地を転々として(中国の杜甫や我が国の芭蕉のような)「漂泊の詩人」としての生涯を送ることになるのです。
 なにやらこの詩の第三聯は、その後のリルケ自身の人生を前もって予見していたかのようです。  ― 完 ―
 (大場光太郎・記)

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