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空の鳥、野の花(5)

 「しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。」

 新約聖書は言うまでもなく、キリスト教にとっての正典(カノン)です。しかし、これを世界的な古典文学として読んだとしても、この箇所などは比類ない美しい名文章だろうと思います。

 ソロモン王の名前はどなたもご存知でしょう。古代イスラエル(イスラエル王国)第三代の王(在位紀元前965年~紀元前925年頃)で、父はダビデ王です。
 在る晩ソロモンの夢枕に現われた神の、「何でも願うものを与えよう」という言葉に、ソロモンは「知恵」を求めたそうです。その願いは容れられ、ここからソロモンは知恵者のシンボルになりました。そのようなソロモン王の下で、イスラエル王国は繁栄を極め、ソロモンは初めてエルサレム神殿を築きました。
 
 シバの女王が、多くの随員を従え金や財宝を携えてソロモン王を訪れたのは、有名なエピソードとして後世の人々に刺激を与え、文学や絵画や音楽などで表現されてきました。
 しかし晩年は人民に重税を課し、享楽に耽り財政が悪化し、ソロモンの死後イスラエルは分裂、衰退していくこととなります。

 余談ながら。イスラエル十二部族国家は、その後イスラエル王国(北王国)とユダ王国(南王国)の二つに分裂しました。紀元前721年アッシリア帝国の侵攻により、先ずイスラエル王国が滅亡しました。残ったユダ王国も、その後興った新バビロニアの侵攻に遭い指導者の多くが捕囚となり、紀元前586年滅亡します。
 その後も周辺の覇権国家の興亡に翻弄され続け、イエス在世当時は、古代ローマ帝国の版図に組み込まれ、その属国状態でした。
 ですから、当時のユダヤの民が切に待望していた「救世主(メシア)」とは、かつてのダビデやソロモンのような、国と自分たちとを今の窮状から救い出してくれるような英雄的救世主像なのでした。その意味でも、「愛の救世主・イエス」を真のメシアとして受け入れることが出来ず、そのことがイエスを十字架上の死に至らせた、大きな要因の一つとも言われています。  
 
 また「エルサレム神殿」は、イエスの死後間もなく独立を目指して起こったユダヤ戦争に敗れ、西暦70年ローマ軍によって破壊され、以後は「嘆きの壁」を残すのみとなりました。(そしてユダヤの民は、その後二十世紀前半までの二千年近くもの永い間諸国に散り散りの「ディアスボラ」が続くことになるのです。)その後神殿跡に西暦七世紀末イスラム教の「岩のドーム」が建てられました。以後エルサレムは、ユダヤ教とイスラム教の、世界の命運をも左右しかねない深刻な対立の象徴的な舞台として、今日に至っております。  (以下次回につづく) 

 今回の記事をまとめるに当たり、以下の資料を参考にしました。
   フリー百科事典『ウィキペディア』より、「ソロモン王」「古代イスラエル」の項
 (大場光太郎・記)

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