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「そんなことは大した問題じゃないのだ」(3)

 引用文中の「私」であるスコットランド紳士は、かつて母国の大学で医学を学んだ人です。実際世界各地を回り多くの人を癒し、各大陸でそれなりの名声も得ていた人です。いわゆるインテリですから紫色の法衣の人(S大師)に、みやげ話のつもりで、デカルトを嚆矢とする西洋近代哲学の概略などを滔々と話したのに違いありません。対して、非常に静かに傾聴していたS大師の一言は強烈です。
 「息子よ、そんなのが本当かどうかは大した問題じゃないんだよ。」

 これは聞きようによっては、その人の半生を賭けて培ってきたものの全否定であると共に、東洋的なるものから「西洋的なるものへの全否定」とも取られかねない由々しき発言です。全インドを支配している栄光の大英帝国の一員である紳士が、植民地化されている民の側から否定されている構図です。ですからその人にとっては、「人から大きなハンマーでなぐられた以上の驚き」だったわけです。
 もしその言葉を投げかけられたのが、この私であったなら。「何だと、折角話してやったのに大した問題じゃないだと!」とばかりに逆上して法衣の人につかみかかるか、または『こんなものの道理の分からん人とは付き合ってられん』と、折角千里の道をヒマヤラくんだりまでやって来たのに元来た道を引き返してしまったかもしれません。
 こうして「人間を解脱させる第一歩」すらクリアー出来ずに、またぞろ迷妄(まよい)の世界にまい戻り、そのただ中でさ迷いながら生きることになっていたかもしれません。

 しかしさすがその人は違います。その強烈な言葉を投げかけられ大変な衝撃を受けながらも、かえってその言葉によって「完全にカラッポ」になってしまったのです。そしてその言葉によって、その人は「完全に変わってしまった」のです。
 
 デカルト、パスカル、スピノザ、カント、ヘーゲル、ニーチェ…。いかに歴史上優れた哲学者たちと称されてはいても、彼らの高度で精緻な「西洋近代哲学」なるものは、しょせん彼らの心が造り上げた壮大な観念体系なのです。それは根底に大きな矛盾を抱えた、人類の根本的な救済にはあまり役に立たないばかりか、かえって世界を混乱に陥らせるだけなのではあるまいか?
 実はその人は前からそのことにうすうす気がついており、それらに最終的な充足感を見出せず、「解脱に到る真理」を常に求めていたのです。

 しかしそうは言っても、「西洋近代原理」はその人の心の奥深くに根付いてしまっており、それをベースにして「言葉、考え、思想、イメージ」などを造り上げていたわけです。それがS大師に出会ったことによって、一気に意識の表面に踊り出してきて、前記の講釈になった。そして「そんなことは大した問題じゃないのだ」と、ビシッと破折(はしゃく)された。
 本来「真理」というものは、心が造り上げた「言葉、考え、思想、心像」などとは全く別の次元のものなのであり、それら心が造り上げた観念では決してアプローチ出来るものではないのだ…。
 こうして、その時その人の迷妄(まよい)の暗雲が祓われたわけです。

 翌日S大師は言いました。「君に受け容れる用意が整っていなければ、(自身の解放の端緒につくことは)私の言葉でも出来なかったのだよ。」
 古来から定理とされている有名な言葉があります。
 「弟子に完全な準備が整うまで、師はその前には現われない」 (以下次回につづく)
 (大場光太郎・記)                                       

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