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「そんなことは大した問題じゃないのだ」(1)

 最初にお断り致します。このシリーズは、以下の本をもとにまとめました。予めご了承ください。
    『解脱の真理―(ヒマラヤ大師の教え)』 (霞ヶ関書房刊)
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 スコットランド高地生まれのその人は、7歳の頃既に多くの霊的体験をしていたそうです。ただ一枚のヴェールだけで我々を引き離している「不可視の世界」が、物質界と同じようにその人には見えていたというのです。子供の頃何とその人は、イエス・キリストの顔を間近に見たといいます。それは本や絵画などに描かれている観念的な姿などではなく、イエスの生命そのものが躍動する生ける顔容(かんばせ)だったといいます。

 第一次世界大戦が終結した1920年前後のある時、このスコットランド紳士の前に、ある人の霊姿(れいし)が現われ、ヒマラヤ山脈のとある場所に行くように告げられました。そこで、ゆえあって一般人とは隔絶して生きているR大師に会い、「その下で、やり残した修行をせよ」と言うのです。
 その人は、前世でR大師の弟子だったのです。しかし修行途中でその時の人生が終わってしまったため、今回の人生で改めて修行を完成させるのが目的でした。
 (注記。高度なレベルの修行をマスターしたヨガ行者などで、自分自身を遠隔地に自在にテレポテーション出来る人が現実に存在します。)

 こうしてその紳士は、当時滞在していたカナダのモントリオールから海路はるばるインドを目指すことになります。多くの日数をかけてインドに上陸し、今度はインド国営鉄道と山岳鉄道に乗って、ヒマラヤ山脈の麓の町まで着きました。そこから目指すチベットに入るためには、その町で入国許可が下りるのを待たなければなりません。

 町のホテルに宿泊すること3日目。ホテルから町の方へ歩いて行くと、紫色の法衣をまとった人がいるのに気づきました。法衣の人は、その人の前までつかつかと歩み寄り、「やあ、息子よ。とうとうやってきたね」と、流暢な英語で語りかけてきました。(当時インドは英国領だったため、教養あるインド人は英語が話せたのです。)
 法衣の人物は更に続けて、
「私は長い間君と一緒にいたのだが、君はそれに気づかなかった」
と奇妙なことを話しました。しかしその言葉で、その人はハタッと気がついたのです。幼少の頃から、耳から聞こえてくる外からの声ではなく、耳の内側で鳴り響いていたのが法衣の人の声に他ならなかったことを。   (以下次回につづく)
 (大場光太郎・記)

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