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横浜の秋風に吹かれて(3)

 目指す産業貿易センタービルまでは、距離にして1キロ弱です。しかしその道々には歴史的建造物がけっこうあります。今回はそれをご紹介するべく、あちこち視線を走らせたり立ち止まったりしながら歩きました。

 日本大通沿いの舗道を、山下公園の方に歩いていきます。すると、直交しているみなと大通りとの交差点に来ます。その角に、横浜の代表的な建造物の一つである、横浜市開港記念会館があります。
 同会館は、横浜開港50周年を記念して大正6年(1917年)市民の寄付によって創建されたのだそうです。赤褐色のレンガ壁、西洋のさるお城のような外貌…。なるほど確かに、時代を感じさせる古い建物です。3年ほど前までは、私が所属している神奈川県行政書士会の会員への研修会の会場として、よくここの一階講堂を利用していました。私も2、3度この講堂での研修会に参加したことがあります。2年ほど前、会長が現在の女性会長に変わってから、なぜか研修会自体が少なくなりました。

 その交差点から日本大通を渡って反対側に来ました。開港記念会館を少し離れて見るためです。すると少し身をかがめて、同会館をデジカメで撮っている70前後の人がいました。親近感を覚えてそのようすを眺めていると、シャッターを押すなり、そそくさと立ち去っていきました。
 同会館を改めて眺めて、忘備のために持ち合わせの用紙にメモしていると、60代くらいの男性がつかつかと歩み寄り、「大桟橋はどちらですかねぇ?」と、自分では桜木町駅の方を指差しながら聞いてきます。「いやぁ、私も知らないんですよ」「あヽそうですか」と言いつつ、その人はやはり桜木町の方向へ。少し歩いて『ん?』と思ったのか、もう一度戻ってきて、今度は信号待ちをしている人に改めて問い直しているようす。ようやく納得して、反対の山下公園の方に歩き去って行きました。私も『大桟橋って、あっちだったのかぁ』。

 そこから、みなと大通りを神奈川県庁本庁舎沿いに歩きます。同庁舎は、大正12年(1923年)の関東大震災で焼失した前庁舎を再建するかたちで、昭和3年(1928年)建造されました。当時流行していた帝冠様式の先駆けとなった歴史的に意義深い建物です。私はいつぞや同庁舎内の部署に書類提出後、余裕があったので屋上まで上ったことがあります。そこからは横浜港や市街のようすが一望でき、有意義なひと時を過ごせました。
 
 みなと大通りを海の方にそのまま歩きますと、有名な赤レンガ倉庫に行き着きます。私は山下公園から遠く望むばかりで、未だ間近に見たことはありません。いつか余裕のある時に、じっくり見学したいものだと思います。
 さて県本庁舎を右に曲がると、今度は山下公園通りです。県庁の並びには、横浜開港資料館があります。横浜市に関する資料を収集し、閲覧、貸与、出版などにより一般に公開する「近代都市横浜の記憶装置」のような施設だそうです。
 そしてその裏が、開港広場公園。それに接する通りを海に向っていくと、さきほど尋ねられた大桟橋に行けるようです。
 もちろん私はそちらには向わずに、そこの信号の横断歩道を渡ります。すぐの建物がシルクショッピングアーケードで、産業貿易センタービルはその隣りです。(太字の個所をクリックすると、建物の外観などがご覧になれます)  (以下次回につづく)
 (大場光太郎・記)

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