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記事数200越えました

 おがけ様をもちまして、『郷里の民話・真心の一文銭(3)』で記事数200に達しました。これはひとえに4月末開設以来半年弱の間、当ブログをご訪問くださった皆様のたまものです。
 大変ありがとうございました。

 本日10月13日で、開設から181日くらい経過しました。記事の中には、『二木紘三のうた物語』の既コメントをそのまま当ブログに移させていただいたものなどが10弱ありますが、それでも1日1記事以上は公開してきた勘定です。そのことに我ながら驚いています。人間必要に迫られると、本当に何とか形にしてしまう生き物のようです。

 本当は、一回ごと完結の「読み切り物」が理想かと思います。しかし当ブログでは、ご覧いただいてとうにお分かりのとおり、ある一つのテーマの「シリーズ物」もけっこう多くあります。中にはそれがお好みでない方もおいでかもしれません。しかしシリーズ物によってある日数は確実に埋められるわけなので、『次はどんなのにしようか?』と常に思い悩んでいる私としては大いに助かるのです。その辺の事情をどうぞご理解賜りますようお願い申し上げます。
 と申しましても、例えば5回シリーズの場合、当初から原案が全部出来ているわけではありません。その場合でも、一回分をその日その日にまとめています。そのため当初おおまかに考えていた方向とは、かなりかけ離れたものになることもしばしばです。
 
 「記事の内容」そのものにつきましても、ご訪問くださるすべての方にご満足、ご納得いただける記事、というのは大変難しいと思います。心構えと致しましては、アンテナをより鋭敏に、より広範囲にとは思いますが…。どうしても記事作成者である私の、これまでの半生で培ってきたこと(逆に未熟ゆえの経験不足だったこと)、知識、個性、好みになどに偏ったものにならざるを得ません。
 例えば、その一つに「スピリチュアル記事」があろうかと存じます。よく考えてみますれば、普段気がついていないだけで、私たち人間は物質的な世界にありながらも、元々(今このままで十分)「霊的な(スピリチュアルな)存在」であるわけです。「アクエリアス(水瓶座・宝瓶宮)新時代」への移行期である重要なこの時期、「スピリチュアルな叡知」を取り戻すことは何にもまして必要不可欠かと存じます。私はこの信念によって、折りにふれてそのような内容の記事も公開しているつもりです。
 どうぞ併せてご理解賜りますよう、お願い申し上げます。

 日々ご訪問くださる方々にとりましては、当ブログも「新聞」の一記事のようなものなのかもしれません。それにお応えするには、先ず何より「ネタが新鮮」なものでなければなりません。例えば、昔の回想記のようなものであっても、そこに新しい視点や光りがなければならないと思われます。
 ということは私自身が、常に新しい発見、新しい喜び、新しい感動、新しい気づき…を心がけていかなければならないということです。
 かくありますよう。「日々新生」のつもりで生き、かつ時々に「ハッとした新鮮なこと」を記事にしていければと思います。

 どうぞ今後とも、当ブログご愛顧たまわりますようよろしくお願い申し上げます。
 (大場光太郎・記) 

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