« 十三夜(後の月) | トップページ | 記事数200越えました »

郷里の民話・真心の一文銭(3)

 当地(厚木市)に来てから少し全国の民話などを読んでみましたが、この話は他の地方には無いようです。どうやら私の郷里独自の昔話のようです。あるいは、昔々これに類する何らかの実話があって、それが形を変えて伝承されたものなのかもしれません。何やら、仏教説話の「貧者の一灯」を彷彿とさせる心温まる民話です。
 
 「アレンジ」などと言いながら、「夕焼けの里メール」の内容にほんの少し手を加えただけになりました。しかし考えてみますと、地元の語り部さんが語った『真心の一文銭』の文は、代々長い間言い伝えられてきた物語だと思われます。
 その間不要な個所は削られ、エッセンスのみの完成体として語り継がれてきたものが残っているわけですから、ほとんど手を加える必要がないのは当然のことです。

 この物語理解のために、以下に何点かを補足説明させていただきます。
 先ず、「今から四百年前」という時代についてです。ちょうどその頃、有名な関ヶ原の合戦(慶長5年、西暦1600年)が起こりました。東軍を率いた徳川家康が、豊臣家の西軍に勝利し、以来徳川家が天下の実権を握っていくことになります。ですから、日本史の中心部では、江戸幕府が開かれた頃ということになります。
 その頃の郷里の状況は―。関ヶ原の戦いで西軍についた会津百二十万石の上杉家の当主・上杉景勝は、戦後家康によってその罪を許され、米沢三十万石に減封され新たに米沢一帯を治め始めた頃のことです。

 今でこそ「宮内(みやうち)」という町ですが、その頃は「熊野神社」というお宮のある小山の周りに集落が点在する村に過ぎなかったわけです。(それが時代が下ると共に町に発展し、お宮を中心に開けた門前町だったために、「宮内」という地名になりました。)
 そして物語の中の、「熊野大権現」とあるのは、元宮であり熊野信仰の総本山である「熊野本宮大社」の、「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」に倣ったものと思われます。本地垂迹とは、仏教が興隆していた時代に表れた神仏習合(しゅうごう)の一つで、日本の八百万の神々は実はさまざまな仏が化身して現れた権現であるとする考え方です(「権現」とは、権り(仮り)に現われるという意味です)。
 ですから当時は、お宮にも鐘撞き堂があり、今の神職である宮司は「和尚さま」であったわけです。

 最後に、このお話をご提供いただいた「夕鶴の里」の謂れについてです。
 木下順二の戯曲『夕鶴』にもなり全国に知られた『鶴の恩返し』の話が、同資料館のある漆山地区にかなり昔から伝わっていたようです(私も、郷里にいた頃から知っていました)。この話は全国各地にさまざまな形で広く伝播しており、類似の話は240もあるそうです。
 「夕鶴の里」のSさんはもちろん、「うちが、そもそもの発祥だと思っております」というご返事でした。同地区には『鶴の恩返し』を開山縁起とする、鶴布山珍蔵寺というお寺があり、その由来を記した「鶴城(かくじょう)地名選」という古文書が残っているそうです。
 冬に鶴が飛来する地域といえば限られております。そこで一説では、山形(ということはやっぱり、私の郷里?)か新潟のどちらかが発祥源ではないかと言われているようです。

 この『鶴の恩返し』も含めまして、いずれまた郷里の別の民話をご紹介できればと思います。
 とうびんと(完)。
 (大場光太郎・記)

|

« 十三夜(後の月) | トップページ | 記事数200越えました »

思い出」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 十三夜(後の月) | トップページ | 記事数200越えました »