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秋風辭(秋風の辞)


      漢 武帝  劉徹 

  秋風起兮白雲飛、     秋風(しゅうふう)起こりて 白雲飛び、
  草木黄落兮雁南歸。    草木黄落(おうらく)して 雁(かり)南に帰る。
  蘭有秀兮菊有芳、     蘭秀(らん・しゅう)有りて  菊芳(きく・ほう)有り
  懐佳人兮不能忘。     佳人を懐かしみて 忘る能(あた)わず。
  汎樓船兮濟汾河、      楼船を浮かべて 汾河(ふんが)を渡り、
  横中流兮揚素波。     中流を横ぎりて 素(しろ)き波を揚(あ)げ。
  簫鼓鳴兮發櫂歌、     簫鼓(しょうこ)鳴りて 櫂歌(とうか)発(お)こる、
  歡楽極兮哀情多。     歓楽極まりて 哀情多し。
  少壯幾時兮奈老何。    少壮幾時(いくとき)ぞ 老いを奈何(いかん)せん。

 …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……

《私の鑑賞ノート》
 漢の武帝(ぶてい。紀元前156年~紀元前87年)は、中国前漢の第七代皇帝。前漢の創始者にして初代皇帝・高祖劉邦の曾孫に当たる。父は景帝、母は王氏。十五歳で即位、以後五十四年の長きに亘り帝位にあった。

 この『秋風の辞』は、盛唐の頃のような、洗練された五言絶句や七言律詩などが現われるずっと前の詩です。それゆえ、原詩は難解です。なお「辞(じ)」とは、散文の要素も併せもった詩体のことを言います。しかしこの詩は、読み下し文を読めば、そのままストレートに意味が分かり味わえる、実に優れた漢詩かと思われます。

 武帝の時代、漢の高祖・劉邦も為しえなかった匈奴制圧に成功し、領土は最大となり、武帝治世の前半は、前漢の最盛期と讃えられています。

 しかし拡大しすぎた領土運営が少しずつ行き詰まり、後半は財政が厳しくなり、各地に士族や農民らの暴動が起こるようになります。そんな折り武帝は、李陵を断罪し(後に無罪が明らかとなる)一族皆殺し、李陵を弁護した『史記』の著者・司馬遷を宮刑に処すなど、冷酷な一面も見せ始めます。
 だが時には、このような見事な詩をものにしたりもするのです。何やら、後代の三国時代・魏の曹操(魏武帝)が想い起こされてきます。

 この詩は、武帝が晩年汾河(ふんが。黄河の一支流。汾水)の南方を巡幸した際、作られたものと言われています。秋色到る行幸途次の景色を詠み、同河を、楼船という皇帝専用の豪華な二階建の屋形船で横切りながら、河の周囲を見渡して詠む。

 秋の美しい情景を詠みながらも、いつしか帝自身の「老いの哀感」の吐露になっていきます。武帝も、秦の始皇帝のように、不老長寿を願う心は人一倍だったようです。しかしいかな最高権力者といえども、最早いかんともし難い「老い」を受容し、半ば諦観に達しているかのような詩でもあります。『偶成』のように教訓的ではなく、自然さが感じられます。

 秋あるいは秋風に、凋落や滅びを感受し、それを名詩に著した詩人は、洋の東西を問わず多いのです。ただ私個人と致しましては、人類全体にとってのかかる嘆きが、過去のものとなる日の近からんことをと願うばかりです。

 (大場光太郎・記)

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コメント

『春暁』『客舎青青柳色新たなり(送元二使安西)』などとともに、漢詩鑑賞ではアクセスの多いのがこの詩です。汾河の船上の秋の情景、人生の哀歓が率直に詠まれている古詩に、心魅かれる人が多いのでしょう。

投稿: 時遊人 | 2010年10月26日 (火) 04時49分

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