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中津川寸描(3)

    川の面(も)に佇(た)つ白鷺の孤影かな   (拙句)

 空の中ほどにうすいすじ雲が少しあるくらいで。すっきり晴れ上がった、気持ちよい、まさに秋日和の一日でした。

 本夕また中津川堤を降りてみました。
 秋分の日から間もなく、少し下流の大堰は開けられて、既報のかつて満々と水を湛えていたその上流側は、すっかり様変わりです。目測でも、1m弱くらいは水位が下がったでしょうか。
 堰からこちら20mほどは川幅いっぱいに浅く広がっていても、それより上流はぐんと中洲の砂地がだいぶ露わになっており、そこからこちら岸までの川幅約20mほど。以前と比べると、川の流れはだいぶ細って見えます。
 天辺に鴨がくつろいでいたテトラポットも、今では突起から数十㎝ほど突き出しており、改めて数えてみるとその数40以上。ずらっと連なっている様は、何となく異様な感じがします。
 一体どこに行ったものか、堰が切られてこの方鴨の姿はついぞ見かけません。

 ご存知の方もおいでかもしれませんが。中津川の最上流は、今から二十年ほど前に完成した、「宮ヶ瀬ダム」です。同ダムは、神奈川県の重要な水源確保の他流域全体の洪水や渇水時の流量調節などの機能を有する、首都圏最大級の多目的ダムです。
 私が立っている中津川岸の地点から、1キロ弱下流で相模川と合流します。毎年3月頃から9月までの約半年間は堰を閉めて満水にし、統計的に雨量が少ない後の半年間は堰を開けて放流する。神奈川県土木事務所や(財)宮ヶ瀬ダム周辺振興財団などが協議して決めたことなのでしょう。
 しかしその結果、鴨の例に見られるように、その都度生態系にそれなりのダメージを与えているかもしれない…などという環境アセスメントなどは、あまり考慮されていないように思われます。

 そんな中だいぶ下に伸びた中洲近くの水面に、白鷺が一羽、上流の方を向いて歩いている姿が認められました(中洲で分断されて、その向うにも小さな流れがあるのです)。しばらくその姿に見惚れていると、更にもう一羽堰の方から真っ白い翼を優美に広げて飛来してきました。向うの仲間の側に行くのかと思いきや、中洲のこちら側の水際にスーッと降り立ちました。中洲を挟んであちらとこちらと。互いに没交渉で、それぞれが上流の方を向いてしばし佇んでいたり、ツツーッと歩き出したり…。

 向こう岸といわず中洲といわずこちらの水際といわず、群生している葦が白い穂をつけて連なっています。この夕べ風はさほど無く、穂はピタリとも揺れません。
 私が座っているコンクリート堤防から直ぐ先は自然のままの堤防で、雑草が伸び放題です。悪名高いセイダカアワダチ草の黄色い花も、所々に見られます。そんな雑草に紛れて、私の直ぐ前に、幾株かのコスモスが十幾つかのやわらかいピンクの花を咲かせています。確か去年まではこの辺にはなかったはずです。堤防道沿いに咲いているコスモス群の種が、風に飛んで運ばれてきたのでしょう。

 と、夕方5時を告げる例の「夕焼け小焼け」のメロディが、北の方角のどこか遠くから、天来の楽の音(ね)のようにワンフレーズ流れて、プツンと消えました。
 当厚木市は湘南海岸からそう遠くなく、相模川右岸の沖積平野の一角です。標高せいぜい何十m。街中にいては、「秋」を感受するのは容易ではありません。しかしここ中津川は、しみじみ秋思のできる数少ないスポットです。
 下流の南の空を望めば、まだ東寄りの冴えた秋空に、半月に少しふっくらした白い夕月。十三夜(後の月)までは、後2、3日でしょうか。
 (大場光太郎・記)

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コメント

大場光太郎様
鷺は水面の上から水中を凝視していて魚が通過するのを待ちます。
魚が昇り易い水路を探して立ちます、魚の昇る魚道は、少し浅瀬で少し水流の速いところです、ちょっとした落差があれば絶好のハンティング・ポイントです。
これを人称んで「鷺の瀬」などとも言います、絶好のポイントを見つけると鷺は1本足になって、魚になるべく悟られまいとします。
こうして場所を定めると半日でも、1日でも動きません。
ですから、他の鷺がいるのを見つけて、獲物にありつけるかナ・・?と、飛来しますが絶対と言って良いくらい側には寄って来ません、鷺に備わった詐欺本能かも知れません。

投稿: 仙人 | 2008年10月10日 (金) 11時43分

仙人様
 このたびはまた、白鷺に関して貴重な情報をご教示いただき、大変ありがとうございました。
 私は、白鷺=優美という先入観念で、少し叙情的に見ておりました。「鷺の瀬」ですか。私の冒頭の拙句の立ち姿も、実は「ハンティング・ポーズ」だったんですか。例え白鷺といえど、餌である小魚を獲るためには、必死なんですね。
 それに「鷺」と「詐欺」。表があれば裏がある、ということですね。また大いに勉強になりました。今後とも、よろしくお願い申し上げます。

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月10日 (金) 12時26分

追伸
「鷺の瀬」と書いたあと、何かもっと深い意味で鷺の瀬と言う名前があったなあ・・・・? つらつら考えても直ぐには思い浮かびませんでした・・・・。
私のガキの時分に育った福島県の会津盆地の真ん中を流れる川に、「鷺の瀬」と言う場所がありました。 そのむかし日蓮上人が笈を背負って川を渡ろうして、浅瀬を選ぶのに鷺の立つ場所を選んで渡ったと言う逸話があります。
因みに、鷺の瀬の近くには「笈塚」があり、私の育った村は「笈川村」(おいかわむら)と言う名でした。
今では町村合併、農地改革で川の面影も変わってしまっています。 60数年も前のはなしです・・・・・・。

投稿: 仙人 | 2008年10月11日 (土) 10時15分

仙人様
 またまた貴重なお話、大変ありがとうございます。
 仙人様の故郷は、福島県でしたか。これまでの貴ブログ内容などを拝見し、『ひょっとして、東北ご出身かな?』と思っておりました。隣県ではありますが、福島県のことは(郡山に親戚があり、そこに私の下の妹が眠っている他は)あまり良く知りません。いつも思うのは、冬場などに帰省致しますと、板谷峠を境に、福島側は全く雪がないのに、峠を越えた途端急に雪深くなることです。
 「鷺の瀬」というのは、実際の地名だったのですね。また日蓮上人の事蹟から「笈塚」「笈川村」という地名になったとのこと。確か私の記憶では、白鷺など「鷺属」は私の郷里では見かけなかったと思います。あるいは、福島県辺りが北限だったのでしょうか。
 余談ですが。日蓮上人に関しましては、当厚木市にも、龍ノ口法難を逃れて佐渡流罪の途中に立ち寄った、「星下り妙純寺」というのがあります。いつか良く調べて、記事にしようかと考えております。ありがとうございました。 

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月11日 (土) 12時20分

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