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レッドクリフ&三国志(2)

 中国古代史における三国時代は、狭義には西暦220年の後漢滅亡から280年晋(しん)による中国再統一までを指します。また広義には黄巾(こうきん)の乱が起こった184年から晋統一の280年までのほぼ100年間に及ぶ時代を指します。
 この三国時代は、ほぼ同時代人の歴史家・陳寿が著した『三国志』や、明の時代の初め頃羅貫中などによって、それまでの説話や伝承をもとにまとめられた『三国志演義』などにより、中国数千年の歴史の中でも特に広く世界中に知られることになりました。
 なお、今回の映画『レッドクリフ』は、白話小説『三国志演義』をベースにしております。そこには、史実ではないフィクションの部分が多分に含まれていることは承知しておいた方がよいかと思われます。
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 後漢末期、劉氏王朝の力は衰え、外戚(皇帝の后に一族の娘を送り込んだ有力豪族)や宦官(生殖機能を喪失した男性官吏)が専横を奮うようになります。そんな悪政が続く中民衆の生活は窮迫し、太平道という道教系の新興宗教に救いを求めるようになっていきます。
 多くの民衆を吸収した太平道は、184年遂に反乱を起こします。黄巾の乱と呼ばれ、これが『三国志演義』のプロローグです。宮廷は皇后の兄である何進を大将軍とし、また各地の有力豪族を将軍などとし鎮圧に当たらせます。官軍の奮戦により同年反乱軍は鎮圧されます。しかし民衆や各地の豪族の不満は解消されず、黄巾の残党も多く残り、更なる動乱と、各武将が中原を窺う群雄割拠の時代へと突入していことになりました。

 そんな中霊帝が崩御し、帝の二人の皇子を巡って争いが起こり、その過程で董卓という人物が実権を握り、都・洛陽に入り暴政を布き、一度決まった新帝を廃し陳留王(後の献帝)を皇帝に就かせます。
 これに対して有力武将たちは、各地で反董卓の軍を挙げ連合して董卓を攻めました。三国志中の名悪役である曹操、そのライバルの一人だった袁紹その弟の袁術、また後に呉を建国する孫権の父の孫堅らがこれに加わります。しかし、元々利害の不一致が多く連合軍は中途で解散してしまいます。
 この中には、三国志のスターたちである、劉備玄徳やその義兄弟の関羽や張飛も共に参加していました。しかし劉備は、公孫瓉傘下の一武将に過ぎませんでした。

 董卓は洛陽に火を放ち、西の長安に献帝を連れて行きます。新都・長安でも暴政は続きますが、192年司徒王允と部下の呂布の手により殺されます。献帝は東に逃れます。

 その頃曹操は郷里の青州で着々と実力を蓄えていき、30万といわれる旧黄巾軍などを自分の配下に納めて勢力を拡大していきました。難を逃れていた献帝は、曹操によってその拠点である許昌(後の許都)に連れて行かれます。曹操は献帝を道義的・政治的な後ろ盾として利用し、政略を有利に進めていくことになりました。

 それ以外の各地でも、群雄がしのぎを削っている状態でした。その中で特に、名門豪族出身である袁紹が河北・山西を領有し、曹操と袁紹がにらみ合う状態となりました。
 そして両雄は遂に西暦200年、史上名高い「官渡の戦い」で激突することになります。既に智謀の士を幕下に多く集めていた曹操は辛くも袁紹軍を撃破し、以後曹操は中原での覇権を確固たるものにしていきます。
 曹操はその後袁紹の旧勢力を吸収し、圧倒的な大勢力となり、いよいよ宿願の南下、南征に乗り出すことになるのです。  (以下次回につづく)
 
 (大場光太郎・記) 

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