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厚木市と♪夕焼け小焼け♪(4)

 『夕焼け小焼け』が、童謡集『文化楽譜・あたらしい童謡』に発表されてから1ヶ月余。当時の日本社会を震撼させる大きな出来事が起こりました。大正12年9月1日。関東大震災の発生です。この震災は午前11時58分と、ちょうどお昼時と重なったため火を使っていた家庭も多く、東京市中を中心に二次災害的大火災となりました。 この大震災による死者数は約10万人といわれています。

 この予期せぬ悲劇的出来事により、『夕焼け小焼け』が入った楽譜集も、そのほとんどが焼失してしまいました。もう永遠に日の目を見ないのか、と思われました。しかし何という天の配剤でしょうか ! そんな中わずかに既に人手に渡っていた楽譜集がありました。その数たった13部。
 童謡『夕焼け小焼け』は、この13部から始まったのです。この歌が、今日までこうして歌い継がれているのは、実にこのわずかに残っていた楽譜集によるものなのです。
 雨虹の妻・千代子の妹の下田梅子は、東京府内の小学校の教員でした。彼女は、震災で家や親を失った多くの子供たちを何とか元気づけるためにも、その中の一部の楽譜をもとに、義兄が作ったこの歌を一生懸命教えたそうです。

 そのようにして、この歌は大震災の直撃に遭った東京で、先ず歌われたのです。「良いもの、本物は必ず広く伝播する」―これは法則であるようです。それを証明するかのように、それから関東一円でそして遂には全国津々浦々で歌われ、歌い継がれていくことになるのです。

 その後中村雨虹は、昭和2年(1927年)神奈川県立厚木実科高等女学校(現・神奈川県立厚木東高等学校)の教師として厚木市に赴任してきます。厚木東高校は、厚木高校と並んで神奈川県央地区の、伝統ある名門校です。以来退職した昭和24年(1949年)まで同校で教鞭を取ることになりました。
 (余談ですが。同校をご卒業されたS様(女性)は、私の業務上の恩人の一人でもあり、私の良き理解者でもあり、何より当ブログ愛読者のお一人でもあられます。この場をお借りして、深く感謝申し上げます。またご依頼の業務最近遅れがちでありますこと、深くお詫び致しつつ、今後はそのようなことのなきよう鋭意努力してまいる所存です。)

 こうして雨虹は、昭和2年以来、現在の厚木市泉町という本厚木駅南口から徒歩数分の市街地に住み続けることになります。雨虹はその間、厚木市立厚木小学校歌や厚木ちぐさ幼稚園園歌など多くの歌を残しております。 (以下次回につづく)
 (大場光太郎・記)

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名曲ー所感・所見」カテゴリの記事

コメント

 お話をうかがって、厚木市が毎夕この曲を流す理由がよくわかりました。私としては、この童謡に強い郷愁をおぼえる世代とは一体どのあたりからか、ちょっと興味があります。それにしても本当にいい詩だと思います。
まず「夕焼け」ではなく「夕焼け小焼け」がやさしいですね。そして「山のお寺の鐘が鳴る」、これはまさしく日本の原風景そのもの。次に「お手手つないでみな帰ろ」、これですよ、これ。この光景こそ、いま日本人が最も飢えているものです。サッカー教室とか野球教室と言った類型的な集まりではなく、もっと原初的な子ども同士のつながりです。そして「カラスと一緒に帰りましょ」、そうですとも、子どもにとっては人もカラスも草も木も友達ですから。
 ところで、中村雨紅と親交のあった依田信夫という方が書かれた『物語夕焼け小焼け』という本をインターネットで知りましたが、大場様はもう読まれたかと思います。この本の中に<厚木と唱歌と渡辺崋山>という一章があり、崋山ファンの一人としてとても興味があります。もしご存知でしたら紹介していただけませんか。

投稿: くまさん | 2008年10月 5日 (日) 13時47分

くまさん様
 そうですね。『夕焼け小焼け』の歌全体が、懐かしい日本的原風景を、心にくいまでに描き出していると思いますね。特に1番などは、野口雨情の雨虹への評価ではないですが、純粋素朴な詩です。まったく変に技巧的でないそういう自然さが、これほど多くの国民に受け入れられてきた、一つの要因かと思われます。
 「お手々つないで みな帰ろう」。このような雰囲気は、私らが子供だった、オールディーズなあの昭和30年代前半には、確実に残っていました。私見では、そのような古き良き「(村落)共同体的和」が解体され、日本社会が根底から変質し出したのは、やはり昭和30年代後半の池田内閣辺りからだったと思っております。
 私が今回の記事を作成するにあたり、参考にしたのは(安直にも)ネット資料だけです。その過程で、ご引用の資料のことも当然知りました。しかし時既に遅し。いつかずっと後で、(本当にいつのことだか?)『今この時&あの日あの時』を一冊の本としてココログ出版から出すような場合、もしこの記事も掲載することがあれば、その時は他の資料もきちんと読み込んでもっとしっかりした記事にしたいと思います。
 江戸末期、渡辺崋山が当地を訪れた時の記念の碑が、相模川右岸すなわち厚木市側(左岸側は海老名市)に建てられております。崋山のこと、私は寡聞にして多くを知りません。折角のお尋ねですから、少し調べてまた同人のこと、「第二の故郷・厚木市」の紹介の一環としようかな?とも考えます。大変ありがとうございました。
 

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月 5日 (日) 14時39分

大場 様
 渡辺崋山と厚木市の関連の件は、もしご存知でしたらということで、いつでも結構ですよ。
ところで以前「うた物語」の中でもちょっと触れたことがありましたが、童謡の『夕日(ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む・・・)』を作曲したのは富山県高岡市の室崎琴月という人ですが、作詞は「葛原しげる」という広島県福山市の人です。この歌詞の出だしを、最初「きんきんきらきら」としたのですが、葛原氏の小学校1年生の長女がそれを聞いて、「夕日なら<ぎんぎんぎらぎら>でしょ?」と言われて直したところそれが大ヒットになったとか。げに子どもの感性は端倪すべからず、ですね。ただ、最近はこの「夕日」の方は「夕焼け小焼け」ほどには歌われなくなったように感じますが、どうでしょうか。

投稿: くまさん | 2008年10月 5日 (日) 20時17分

くまさん様
 渡辺崋山の件、しばしのご猶予たまわりありがとうございます。私と致しましても、記事にするに当たっては、必要資料を十分に読み込んでから作成したいのですが、矢嶋様にも申したとおり、何せ時間的な余裕がありません。ややもすれば底が浅くなり、畏兄などは物足りなさを感じることがあるかもしれません。ご寛恕たまわりますようお願い申し上げます。
 童謡『夕日』の一件、そういえば何かのコメントで言及しておられましたね。そうですね。子供はまだ言ってみれば、「天界」と直流していると思いますから、大人が失なってしまった「真実」や珠玉の言葉を、大人が聞き漏らしさえしなければ、ポロッと話したりするものですよね。以前私は『子供の情景』でも述べました。私たち大人と、子供たちは「魂(生命)」においては同格だと思います。いや今の子供達は「インディゴ・チルドレン」「スター・チルドレン」と呼ばれるような、とてつもなく進化した魂が受肉しているケースがけっこうあるそうです。
 私なんか、齢60になんなんとして、そんな子供たちには負けそうです。
 『夕日』も『夕焼け小焼け』に劣らず、良い童謡かと思います。とにかく良い歌は長く残す努力をしていただきたいですね。というより、私たちが少しでもそうなるよう努力していかなければなりませんね。
 

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月 5日 (日) 20時50分

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