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貧者の一灯

 「貧者の一灯」は有名な仏教説話です。少しずつ異説はあるものの、おおむね以下のような説話です。

 昔々お釈迦さま在世中の古代インドでのこと。マガダ国のアジャセ王が、お釈迦さまをご招待し、その帰路を万灯をもって照明しようと考えました。
 そのことを知った城下に住む篤信のある老婆も、灯を供養したいと望みました。しかしこの老婆は、物乞いをしながら日々の生活をしている貧しさで、持ち越しているお金は一銭もありません。そこで老婆は、その日物乞いで稼いだお金全部を投じて、わずかに一灯を得ることができました。それを、アジャセ王のきらびやかな万灯の片隅にそっと献じました。
 その翌朝、アジャセ王が献じた万灯はすべて消えてしまっていました。しかし老婆の一灯だけは消えずに、明々と灯っておりました。(真夜中に嵐が吹き荒れたという説もあります。)
 それを目連(もくれん)尊者が消そうとしますが、なぜか消えません。目連といえば、「神通力第一」と言われた、お釈迦さまの十大弟子の一人です。その目連をもってしても、老婆が献じた灯を消すことはできませんでした。
 それをご覧になって、お釈迦さまは言われました。
 「目連よ。そなたの通力によっても、この灯は消せはしないのだよ。なぜなら、この一灯こそ、真の布施の灯であるからである」
                          *
 賢明な皆様には、この説話の言わんとしていることは、既にお分かりのことと思います。 一言で申せば、「真心の布施」の大切さということになろうかと思われます。
 仏教における「布施行」は、悟りへの道である「六波羅蜜」の一つです。六波羅蜜とは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六種の修行を指していいます。そしてその最初の修行である「布施波羅蜜」には、以下の三布施行があります。
  1 財施  文字通り、金銭や物品を他人に施すこと。
  2 法施  御仏の教えを説き、迷いに悩める衆生を救い、悟りへと導くこと。
  3 無畏施 人の悩みや恐れを取除き、安心を与える布施のこと。

 アジャセ王と老婆の献灯は、上の布施行のうちの「財施」に当たるわけです。
 いずれの布施行であっても、共通した基本的な姿勢が求められます。それは布施とは、何の見返りも求めず無償の心でもって捧げなければならない、ということです。
 この説話で、それに適っていたのは、明らかに老婆の一灯の方でした。方やアジャセ王には、お釈迦さまをご招待し、贅を凝らした万灯を献じはしたものの、そこにお釈迦さまの名声を利用して自分の力を内外に誇示しようという、邪念が少しでも無かったとは言えません。
 それでは、「真心」ならぬ「間心」です。御仏の御心との間に、隔たりが出来てしまうのです。すなわち、御心に適わないのです。なお、「間(ま)」は、「魔」に通じます。

 今回は、貧者の一灯 > 富者の万灯。いつぞやは、野の花 > ソロモン王の栄華。
 この両方の教えには、宗教の違いを越えて、共通するものがありそうです。

 なお、貧者は「善」で、富者は「悪」なのか?というと、決してそうではありません。神仏は、貧者、富者の違いなど形の一切の差別なく、「真心」の有りや無しや、ただそれのみを見給うのです。
 また、この説話とは別問題ですが、清貧よりは「清富」をずっと喜び給うのです。
 (大場光太郎・記)

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