厚木市と♪夕焼け小焼け♪(5)
中村雨虹の45年にも及ぶ厚木在住の中で、以下のようなエピソードが残っています。
雨虹は厚木市内に住みながらも、同市西端の「七沢(ななさわ)」の地が故郷恩方の風景と似通っているからと、しばしばその辺りを散策したそうです。七沢は「七沢温泉」として関東の温泉地の一つとしても有名です。雨虹も、その中の元湯玉川館にしばしば足を運んだそうです。当時の旅館主人・山本均二の夫人が雨虹の教え子だったという奇遇もあったようです。
住まいの厚木市から大山の峰を眺めて夕焼けを見つけると、「今夕焼けがきれいだろ」と均二氏に電話することがあったそうです。それで均二氏が片道30分かけて車で迎えに行くと、千代子夫人と一緒に外で待っておられた。その車に同乗して七沢に到着した頃には、周りはすっかり薄暗く既に夕焼けは消えていた…。そんなことが何度かあったそうです。
雨虹は、自らが作詞して今や全国で歌われている『夕焼け小焼け』の歌、故郷恩方の景色を偲ばせる七沢の夕焼けを、こよなく愛していたのに違いありません。
またある時雨虹は、「『夕焼け小焼け』の碑が、終生の地となる神奈川にはないんだよ」と、ポツリと呟いたそうです。そこには、出来れば第二の故郷・厚木市なかんずく七沢の地に、同歌の歌碑を建ててもらいたいという、想いが込められていたのかもしれません。
雨虹の意を汲むように、その後山本均二が、元湯玉川館入り口に『夕焼け小焼け』の歌碑を建てました。
なお同旅館入り口には、もう一つ別の碑が建てられています。厚木市が生んだ農民文学者・和田傳(わだ・でん)の詩碑です。(和田傳については、また別の機会にその業績などをご紹介できればと思います。)
雨虹の歌碑の裏には、均二氏の「子孫に贈る」という詩が刻まれているそうです。一部をご紹介しますと、
…童心は天使 童謡は心のふる里である
人生は 花も嵐もある
つらい事 悲しい事があったら
この碑の前に立って
静かに唱って(うたって)ごらん
いっ切を流して
雨虹はそのまま厚木市に住み続け、神奈川県立厚木病院(2001年県から厚木市に移譲され現在は「厚木市民病院」と改称)で、昭和47年(1972年)5月6日逝去しました。享年75歳。
雨虹は、八王子市上恩方町の『夕焼け小焼け文化農園』の外の、「高井家奥津城(おくつき)」と書かれた墓所にひっそりと眠っているそうです。 ― 完 ―
(注記)今回の記事をまとめるにあたり、下記の資料を参考にしました。
フリー百科事典『ウィキペディア』―「中村雨虹」の項他
フナハシ学習塾その他37―童謡のなぞ19
(厚木市)オノヅカピーナッツホームページ―「夕焼けの詩」 他
(大場光太郎・記)
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