« 「七五三」と「三五七」 | トップページ | 呂布と貂蝉(2) »

呂布と貂蝉(1)

 映画『レッドクリフ』が今月1日に日本で公開されるや、やはり記録的大好評で、既に総入場者数150万人を突破したそうです。これは3、4日前のテレビCMによるものですから、この数は更に増え続けているに違いありません。映画通ならぬ私には分かりませんが、この数字は、過去に我が国で公開された無数の映画の中でも未曾有の数字なのではないでしょうか。
 おかげ様で、当ブログの『レッドクリフ&三国志』シリーズも好評で、「検索フレーズランキング」を御覧になってお分かりのとおり、今でも同記事へのアクセスが引きもきらない状態です。

 その中で、諸葛孔明や周諭と並んで、「呂布(りょふ)」の検索が多かったのには驚きました。確かに呂布は、三国志の前半途中で姿を消してしまうものの、戦乱の後漢末期にあって抜群の武勇を誇り、三国志物語ではあの関羽、張飛、趙雲などを押さえて最強の武将として描かれています。
 190年曹操ら若い群雄が組織した反董卓軍との「虎牢関の戦い」では、希代の名馬・赤兎馬(せきとば)に跨り先ず張飛と互角の打ち合いをし、続いてその加勢に入った関羽、劉備という三国志中の大スターたちに囲まれながら、なお持ちこたえたというのですから、その強さのほどが覗えます。(後世に言う「三英戦呂布」)

 そのような華々しい武勇と共に、智謀には疎く、利によって反覆をくり返した「裏切りの武将」という甚だ人間くさい面も、『三国志演義』を彩る個性として際立った存在感を放っている要因です。
 私はまだ『レッドクリフ』を観ていませんので分かりませんが、その中で呂布と(中国四大美人の一人と讃えられた)貂蝉(ちょうせん)とのロマンスも取り上げられているはずです。そのことも呂布に関心を寄せる人が多い理由なのかもしれません。
 という訳で、今回『レッドクリフ&三国志』の番外編として、『呂布と貂蝉』を載せることと致しました。(映画とはストーリーが違うかもしれませんが、ご了承ください。)
                         *
 呂布(りょふ、ピンインまたはリュイブゥー。生年不詳~198年)は後漢末期の武将にして群雄の一人。字(あざな)は奉先。五原郡九原県(現在の内モンゴル自治区)生まれ。
 『三国志』において呂布は、井州刺史の丁原の側近武将として登場します。189年の霊帝死後の動乱の中、丁原と共に首都洛陽に入りますが、その頃台頭しつつあった董卓の主従離間の計により主であり義父でもあった丁原を殺し、そのまま董卓の側近として仕えます。
 
 董卓は呂布を養子にするほどの信愛を示し、その下で呂布はどんどん栄達し都亭侯に封じられるまでになりました。董卓もまた強大な権力を掌握していきます。
 董卓は西の辺境出身の有能な武将で、親分肌の統率力をそなえた人物でした。一方、農民を皆殺しにしたり、洛陽に入ってから富裕を襲って金品を略奪したり、捕虜の舌を抜き目をえぐった上で熱湯に入れて苦しむさまをみながら平然と酒を呑むなど、残虐な性格でもありました。また一度決まった新帝を廃し陳留王(後の献帝)を帝位に就かせたり、強引に洛陽から長安に遷都したりと、悪政、暴政ぶりが人心の憤りを買っていくことになります。
 しかし董卓を護衛する呂布の存在を恐れて、誰一人意見する者さえいませんでした。
  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)      

|

« 「七五三」と「三五七」 | トップページ | 呂布と貂蝉(2) »

映画・テレビ」カテゴリの記事

読書」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。