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呂布と貂蝉(2)

 そんな中、霊帝の時からの忠臣である司徒・王允(おういん)という人物がおりました。王允は、董卓の専横に漢室の将来を深く憂いていました。かといって董卓を除けるほどの良策も思い浮かびません。
 ある晩自邸の廊下で、庭園の闇を見やりながら深く嘆息していると、一人の少女がそっと近づいてきました。「養父さま。夜も遅いのに、何をそんなに嘆いておいでですの?」。王允は一瞬ぎくっとしながら「あヽ貂蝉お前だったか。いや別に何でもないんだ。…遅いからもう寝なさい」。「いえ、養父さまは何か深い悩みを抱えておいでです。私には分かります。隠さずにおっしゃってください。この貂蝉、身寄りのない幼時に養父さまに引き取っていただき、以来16歳の今日まで実の娘以上に大切に育てていだきました。何とかそのご恩に報いたいのです」。類い稀な美しい顔に強い意志をひそませ、なおも貂蝉は引き下がりません。遂に王允も根負けし、「実はのぅ…」と苦しい胸のうちを語り始めます。

 …こうして王允(と貂蝉)による、董卓と呂布を仲違いさせる計である「美女連環の計」が練り上げられ、実行されていくことになります。なお、連環の計には二つあります。その一つは既述のとおり、赤壁の戦いに臨みほう統が曹操に進言した、魏水軍の二千艘の船すべてを互いに鉄鎖、鉄板で連結させる計。それと区別するため、こちらを特に美女連環の計と呼んでおります。

 ある日計略を秘めて王允は呂布に近づきます。「将軍の日頃のご精励をねぎらいたい。ついては今宵拙宅にお越し願えまいか」。名家からの招きとあって、呂布は一も二もなく了承し、宵の口王允の館を訪れます。最上の饗宴にあずかり呂布酩酊の頃、王允は「将軍に余興をお見せします」と、貂蝉と二人の侍女を呼び寄せ呂布の前で舞を舞わせます。
 貂蝉の光り輝く美貌と天女のような見事な舞に、呂布は我を忘れてしまいます。頃合を見計らって王允は、「将軍。真ん中で舞っているのは、娘の貂蝉です。あれも年頃なのでどなたかにと思っておりました。もし気に入っていただけたのでしたら、天下の将軍の妾(しょう・呂布は既婚者)にしていただければこれに勝る名誉はございません」。そう言って貂蝉を、呂布に引き合わせます。
 すっかり貂蝉のとりこになってしまった呂布に否やのあろうはずもなく、その場で輿入れの日にちまで決まりました。呂布は天にも昇る心地で王允の館を後にします。

 王允の計はこれだけにとどまりません。次は最終ターゲットである董卓をこの計に巻き込む番です。王允は同じく董卓を自邸に招き、同じ方法で貂蝉を引き合わせます。そして王允は言います。「天下の相国(しょうこく・董卓の称号)たるあなたに妾としてもらっていただけるのなら、親娘にとってこれ以上の幸せはございません。早速今夜にでも娘をお連れください」。
 こうして貂蝉はその夜のうちに、董卓の大邸宅に輿入れすることになりました。

 呂布は、約束の期日が過ぎても何の連絡もないので、怒って王允を詰問します。王允は、董卓から「呂布を呼んでおきながら、なぜわしを招待せぬ」と言われ仕方なく招待したところ、たまたま給仕に出た貂蝉を見初め強引に連れ帰ったのだと弁明します。ここで呂布に董卓への疑念が芽生えます。
 呂布が董卓の館に赴くと、果して貂蝉がいるではありませんか。貂蝉はさも呂布に想いがあるような秋波を送ってよこします。呂布は怒りと嫉妬で気も狂わんばかりでした。
 董卓不在のある日、呂布は鳳儀亭という美麗な庭園の離れに貂蝉を呼び出し、問いただしました。貂蝉は、「嫌々ながら相国に連れてこられましたが、今も将軍をお慕いしています」と言うなり泣きくずれてしまいます。
 その後董卓不在の折り、二人はここで密会を重ねていきます。

 それはやがて董卓の知るところとなり激怒しますが、腹臣の李儒の進言により、貂蝉を呂布の元に送ることを呂布に伝えます。その経緯を貂蝉に告げると、「乱暴者の呂布の元に送られるくらいなら、この場で死にます」と言われ、董卓は思いとどまります。
 約束を違えた董卓に、呂布は怒り心頭です。王允に相談したところ、この際相国を亡き者にすることで、将軍が変わって天下を掌握できるし貂蝉も得られるし、一挙両得だと奨められ、呂布も董卓殺害を決心するに至ります。

 決行の日取りも決まり、それに加わる若干名の有志への説得も終わりました。時に192年4月、その頃まで病に臥せっていた献帝の病が癒え、その快気祝いが催されました。宮中に参内した董卓は、義子の呂布の手によって殺害されました。
 こうして貂蝉という絶世の美女を巡る争いによって、董卓の恐怖政治は終わりを告げることになったのです。
 その後事態は王允が思い描いたとおりにはならず、首都長安は大混乱に陥り王允自身も命を落とします。「美女連環の計」で最大の恩恵をこうむったのは、三国志中の大スターである曹操でした。董卓という稀代の梟雄が除かれたことで、曹操覇道の条件が整ったのです。  (以下次回につづく)
 
 (大場光太郎・記)

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